車で、東京→群馬→長野→山梨→東京と日帰りで行ってきました。
相変わらず神社には寄らないというコースになりました。
その中で一番良かった景色は、道の駅ほっとぱーく浅科(長野県佐久市)付近から、浅間山を望むものです。
車でただただ走っていると、色々な気づきがあります。
中でも、今回は自分自身と自分自身の周囲という現実が、物理的・物質的な現実ではなく、映画の中の世界のように、意識が組み立てたものであるということが実感できました。
上の写真では、浅間山が写っていますが、写真の中に現実の浅間山が存在しているわけではありません。浅間山のイメージデータがあるだけなのです。
でも、我々の目には、現実の浅間山が存在し、それを写した写真という解釈があり、現実にその場に行けば浅間山が存在するという認識になります。
もし、私が写真を加工して、現実には存在しない山をCGとして作り出し、それが現実に存在するかのように語って見せると、その山が現実に存在すると思う人がたくさん出てきます。それは、一種のイリュージョンの世界ですが、私たちが現実と思っているものも、一種のイリュージョンなのです。
コメント
私が友人に話している「富士山は絵である」説ですね。
友人はみんな笑うのですが、私は富士山は本当はなくて、時々イリュージョンで現れる。と思っています。
なぜなら、見え方がおかしい。
富士山に近付いたはずなのに小さく見えたり、
方角が思っていた方向になかったり、立体的に見えなかったり。
科学的に考えれば、答えは簡単なのですが、そう感じるのですよ、私には。