雑念というのは、とりとめのない思いが頭のなかに常にある状態のことを言います。
スピリチュアルな成長においては、雑念を消すことが大切であると言われていますが、なかなか消すことができないのが現実です。なぜこのようになるのでしょうか?
雑念がおきる原因はいくつかありますが、大きな要因として、“判断”を挙げることができます。
生まれたばかりのゼロ歳児を観ていると、雑念がなく魂そのものなのですが、成長するに従って、雑念が増えていき、13歳くらいになると雑念だらけといった感じになってきます。
人間が何か行動したり、選択したりする場合、基本的に自分にとってメリットがあるものを選択します。なので、雑念にもメリットがあったということです。
どのようなメリットなのかというと、子供の頃に親からよく言われるのが、“良いこと”、“悪いこと”の判断をしなさいということです。確かに、肉体を持って社会の中で生きるためには、して良いことと悪いこと、選択して良いことと悪いこと、この二つを常に考えながら行動していくことが必要になります。
そのため、頭の中では、良し悪しを常に判断していることになり、この判断は、成長するにしたがって、数が増えていくことになります。
しかし、世の中、単純に良し悪しを決められないことが沢山あります。しかし、親からは良し悪しを判断しなさいという無言の圧力がかかってくるので、判断しようとするのですが、なかなか判断できないので、ずっと考え続けることになります。
答えが出ない問題を常に考えているので、エンドレスに続いていくことになります。
それが“雑念”になります。
良し悪しという判断をしなければならないという、意識があるため、雑念を止めることは、自分にとっては、不安や時には恐怖を呼び起こしてしまいかねないということになります。
それ故に、止めようとしても止められないことになってしまいます。
雑念を止めるには、“判断を止める”ことが必要になります。
何か、事象が起きたとき、それを判断するのではなく、“ただじっと見つめているとき”、雑念は湧いてこなくなります。
それは、あるがままに、受け止めること。
判断をやめて、あるがままを受け入れることができるようになれば、雑念は自然と消滅します。
コメント
メッセージから愛を感じました。ありがとうございます。
雑念が成長の妨げとは初めて知りました。
いつも参考にさせていただいています。
ycさん
雑念は、とりとめのない状態であり、何かを生み出すものではなく、何も生み出さないという結果を作ってしまいます。しかも、その間にエネルギーだけは消費してしまうので、成長への妨げになってしまいます。