一元性の本を最近ずっと読んでいます。
少し前は、最近は、ラメッシ・バルセカールの本を読んでましたが、
『誰がかまうもんか?!』→『意識は語る』→『誰がかまうもんか?!』
その後、セイラー・ボブ・アダムソンの本を読んで、
『ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え』
現在は、こちらの本を再読中です。
著者のヘルメス・J・シャンブは、日本人ですが、当人が著者個人を表に出すことを好まないので、ペンネームとして、ヘルメス・J・シャンブを使っています。
探究者(弟子)と師の対話形式で書かれているので、深い内容であっても、比較的平易に理解をすることが出来ます。ラメッシやマハラジなどの本でもそうですが、一元性については、一方的な語りだけではその内容を十分伝えるのは難しさがあり、どちらも探究者が師と対話するという形式が主体になっています。
探究者が自らの観念を語ることで、その観念が実は二元性であることに気が付くというパターンを多く見かけますが、これは、普段は当然であると思い込んでいる観念が、分離の為の観念であるということに気が付くには、一度その観念を言葉として引き出していくというプロセスが必要になるからです。
なぜかというと、探究者にとっては、その観念は「常識であり、当然の考え方である」という根深い思い込みがあるため、師が一方的に語るという方法だけでは、探究者が一元性の概念を二元性の観念で理解して分かったつもりになるということが起きてしまうからです。
そのため、師は、探究者にあえて語らせたり質問をさせたりすることで、観念を切り替える必要性があるということを探究者に伝えているわけです。
書名: “それ”は在る―ある御方と探求者の対話
著者: ヘルメス・J・シャンブ
出版社: ナチュラルスピリット
単行本: 504ページ
ISBN-10: 4864510792
ISBN-13: 978-4864510790
発売日:2013/5/10
Amazon:http://www.amazon.co.jp/dp/4864510792/
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