ワンネスを”知っている”と”体験する”の間には、深い谷がある(2)

6月中ごろのことです。車で高速道路を走っていたとき、突然それはやってきました。

車窓から見ている風景はいつもと変わらないままなのですが、それが全て一つであることを直接的に理解するという瞬間がありました。そうなると、見えている風景は同じなのにもかかわらず、いつもと違って見え始めます。

全ては一つであるということが、知識ではなくなります。情報として知っていることでもなくなります。それがただ一つの真理であることを直接知ることになります。
なぜ一つなのか、どうやって一つなのか、そういった疑問が出る前に、全てが一つであることを絶対的に知ることになります。

説明する必要はありません。分析することも要りません。言葉として理解する以前のことであり、これ「そのもの」を言葉にすることはできません。
言葉は、「そのもの」が存在していることを指し示しているだけであり、言葉にしてしまえば、ただの情報に墜ちてしまいます。

そこにあるのは、全てが一つであるという真理だけです。
ただ、それだけです。

しかし、目が見えている風景そのものは、何の変化もありません。目に見えている風景の背後に潜んでいたものが露わになる瞬間です。

その次の瞬間、起きた感情は、歓喜ではなく、恐怖でした。この恐怖というのは、これまで分離の中で作り上げてきた世界観が誤りであり、使えなくなることに対して、エゴが起こしたものです。そして、マインドはしばらくの間混乱を起こします。

そのため、マインドが新しい世界観に落ち着くまで、そのまま走り続けることにしました。その日は予定がなかったので、そのまま山梨の白州まで走ってやっと落ち着いてきたので、白州にしばらく滞在してから自宅に帰ってきました。

全ては一つであるということを知識ではなく体験として直接知るということは、ある時前触れもなく突然やってきます。
事前に準備することができるのは、マインドの混乱や時には恐怖を感じることが起きるということを知っておくことです。マインドの混乱は、しばらくすれば落ち着いて、この世界が全ては一つであるということが自分の中で確立して行きます。

全ては一つであるという感覚は、一度の目覚めでそのまま完全に持続することは、残念ながらありません。目覚めた後には、その感覚を持続させていくための実践が必要になります。

ほとんどの場合、一度目覚めた後、昔ながらの世界観に一度ならず戻ってしまい、分離の世界観というのが如何に強固に出来上がっているのかを実感することになります。
なので、実践の中で、再度全ては一つであるという感覚を取り戻すことを何度も繰り返すこと、分離の世界観から、ワンネスの世界観へと段階的に移行することが必要で、これを怠れば、一度ワンネスの世界を垣間見た人で終わってしまいます。

残念ながら、多くの人がこの一度垣間見るだけで終わってしまっています。そして、馴染みのある分離の世界に戻って、「自分は悟った!」と宣言してしまうわけです。
こうなってしまうと、分離の世界観とワンネスの世界観の間で、常に揺れ動いている状態のままで過ごすことになり、矛盾はさらに大きくなってしまいます。

一度垣間見たなら、さらにそれを安定的にさせて行くことはとても大切です。


この記事を書いた人について[9/5更新]:

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コメント

  1. よっしー より:

    その恐怖から逃れるために、ほとんどの人たちは無意識のうちに真理から目を反らして生きているのだと物心ついたときからなんとなく思っていました。