箱根にある天山湯治郷のパンフレット「天山湯治の能書」に九州大学 古賀昭人教授の小論が引用されていました。なかなか面白いので、原文を探したのですが、見つからないので、「天山湯治の能書」の抜粋を引用させてもらいます。(あんまり良い引用の仕方ではないですが・・・)
-温泉は病気に効くものではない。でも幾百の研究論文は効くといってるではないか、との反論もあるが、それは病人が治ったのであって病気が消えたと考えるべきことなのだ。つまり、「天然温泉は病気には効かぬが病人には効く」と言い換えても良い。
人間は自分自身を健康に保持する能力を持っている。その能力の欠如が病人だから、温泉は能力回復の補助手段として役に立つと言えるだろう。あくまで自分自身の治癒能力への刺激作用としてである。従って、刺激作用を持たない、或は消えてしまった温泉水は何ら効能はないということになる。
このブログでは、私が行った温泉についてその成分ではなく、エネルギー的な特性を書いていますが、古賀教授はそれを刺激作用という言い方で説明しています。実際に温泉番付を見てみると、東西の横綱である、有馬と草津は成分的にはまったく異なる温泉であると言っても良いのですが、活性化ということでは、非常に似通った温泉であることからみても、温泉の効果は、成分が主たるものではないことが分かります。では、古賀教授が言うところの刺激とは何になるのか?
-温泉水はまた高温高圧水ということもできる。地下深所で高温高圧に圧縮された水は化学成分の溶存状態も一気圧、百度の地上のものとは異なるはずである。つまり、地下ではガス成分も多く含み溶解度も高いが、湧出後は圧力の低下と共にガス成分は逃げ、過剰の成分は沈殿しょうとする。地下では安定でも地表では不安定な溶液になっている。不安定は当然安定に移行する。つまり不安定な溶液ほど刺激は強く、湧出後に安定溶液になれば、その温泉の効能は消滅してしまうはずであろう。
つまり、地下における温泉の不安定な状態から、湧出したあとの安定化に向かう過程における変化が刺激だということなのですが、栃尾又温泉に行ったときにそれを感じました。栃尾又温泉では、湧出する場所の真上と、少し離れたところに浴室があるのですが、真上の方が古賀教授が言うところの刺激はしっかりとした感じがします。
やはり、温泉も鮮度が大事であるということになりますね。
温泉に行くと、大浴場を自慢している宿がありますが、これは注意が必要です。大浴場の大きな湯船を掛け流しにできるくらい、湧出する湯量が十分あるのであれば良いのですが、そうでない場合(こちらの方が多く見られますが)はほぼ循環式の浴槽になります。
循環式では、お湯を使いまわしていることになりますから鮮度は落ちます。循環式でも、土日の混雑時のみ湯質を保つために循環式を掛け流しと併用しているところもあり、循環式が全てダメとは言いませんが、温泉の泉質を大事にする宿であれば、湯船の大きさは湯量に応じたものになります。浴場の湯船が湯量に応じて小さいというのは、宿の温泉に対するこだわり・良心と言うことができます。
出典
(社)日本温泉協会・機関紙「温泉」 観光地再考への提言 古賀昭人
箱根 天山湯治郷のパンフレット「天山湯治の能書」
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