多聞院は、埼玉県所沢市中富にあるお寺です。
このお寺の中心は、毘沙門堂ですが、そこには武田菱が・・・
埼玉県にあるお寺なのに、紋が武田菱なのはなぜ?
武田菱とは、甲斐国(現在の山梨県)を支配していた武田家の家紋で割菱とも呼ばれます。
この家紋を使うということは、武田家と関係するお寺であるということです。山梨県とその周辺の県ではよくある話ですが、山を越えて離れている埼玉県でこの家紋が使われるというのは、いったいなぜ?
寺伝によれば、毘沙門堂の本尊である毘沙門天は、武田信玄が戦陣に赴く時に、守り本尊としていつも兜の中に納めていた金製の小さな毘沙門天像です。
この毘沙門像天像は、武田信玄没後ゆえあって、この地の新田開拓を行った川越藩主の柳沢吉保の手に渡り、開拓民の拠り所としての祈願所として、毘沙門像天像を本尊として毘沙門社を創建したとのことです。
当時は神仏習合の時代であるため、毘沙門堂と神明社の一寺一社を合わせて、毘沙門社と呼ばれていたようです。そのため、多門院のすぐ隣に神明社があります。
武田氏に縁のある人であれば、一度は参拝しておきたいお寺です。
●アクセス(車)
埼玉県所沢市中富1501(GoogleMap)
駐車場あり
●アクセス(バス)
西武新宿線「航空公園駅」東口、「ところバス」北路線(富岡循環コース)乗車
「多聞院通り西」下車 徒歩約5分(リンク)
●所沢市HP
多聞院毘沙門堂(リンク)
コメント
八雲様、情報ありがとうございます。
なるほど〜、そんなエピソードのお寺があるのですね。
調べたら、ぼたんの寺としても有名なのだとか。
武田菱をバックにぼたんとは
まさに「甲陽軍鑑」の世界。
知ったからには
来年春、行くしかありません(^^)
> 源五郎さん
川越藩主の柳沢吉保は、甲斐源氏武田氏一門の出身で、武田家没後には徳川家康の家臣として活躍し、甲斐国の大名にまでなった人で、墓所は山梨県甲州市の恵林寺とのことですから、信玄の守り本尊を受け継ぐには正統な人だったんですね。
八雲さま
再び情報、ありがとうございました。
調べたら、武田家再興のためにも尽力した人物ですね。
五代将軍綱吉公の時の方だったのですね。ノーマークでした。
やばい・・・調べ物がまた増えました(笑)
春に訪れるまでに、もう少し詳しくなっておこうと思います。