2011年を読み取る【基礎知識編】 その3

スピリチュアル

3.新年の考え方

ここまでは、暦が一つではなく、様々な暦が世界では使われて来ているということを簡単に説明してきましたが、暦が違えば一年の始まり、つまり新年の定義も異なることになります。ここでは、新年の考え方について、どのような考え方があるのかを見てみます。

(1)季節で定義する新年
アイヌの暦や、古くはローマ暦、中国から入ってきた暦などもそうですが、春を新年として扱っています。古代ローマで使われていたローマ暦では、1年は10ヶ月であり、現在の暦でいうところの3月(春)から12月(冬)までしかありません。農耕のための暦だったため、農事のない1~2月は特に暦を必要としなかったようです。

(2)太陽で定義する新年
古代中国において、暦のなかで季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気(にじゅうしせっき)が使われており、それが後年日本にも伝わって使われるようになりました。二十四節気は、二至二分(にしにぶん)をベースに二十四の季節に等分していますが、二至二分とは、冬至と夏至で「二至」、春分と秋分で「二分」、併せて二至二分となります。
二至二分は日時計があれば観測できるため、古くから世界中で使われてきました。また、地球上のエネルギーについても、二至二分の日(冬至、春分、夏至、秋分)は太陽と地球の天体の位置関係(アングル)の関係からエネルギーが強く働く日になるので、古代より重視されています。
太陽の運行を元にした場合は、太陽が最も低い位置を運行する「冬至」もしくは、太陽が真東から昇る「春分」が新年とされています。

(2-1)冬至
冬至(とうじ)は天文学的には、太陽が冬至点に達する時をさします。(太陽の黄経が270°になる) グレゴリオ暦では、12月22日ごろになる。
太陽の南中高度が最も低く、昼が最も短くなるため、古代においては冬至を1年の始まりとするところも多く、現在でも冬至は暦の基準となっています。
古代においては、冬至の前後になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死する。すなわち、陰極まれば万物みな衰えて死に、太陽の帰り来る「一陽来復」によって再びよみがえると考えられ、日本ばかりでなく緯度の高い西欧でも古くから「冬至祭」が行われてきました。
現代では、この冬至祭はあまり行われておらず、東京では早稲田穴八幡宮の冬至祭りである、「一陽来復」が代表的な冬至祭になっている。

(2-2)春分
春分(しゅんぶん)は天文学的には、太陽が春分点を通過したとき、すなわち太陽の視黄経が0度となった日を春分と定義している。
グレゴリオ暦では、3月21日ごろになる。
春分には、太陽は真東から上って真西に沈む。春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。(実際には光の屈折現象のため、昼の方がやや長い)
古来より、春分の日は春の訪れを祝う日とされており、日本を始めヨーロッパでも、休日とされている国もある。

(2-3)立春
太陰太陽暦(二十四節気)では新年を立春(りっしゅん)の前後に設定している。これは暦と実際の季節の季節感を合わせるとことから来ていると考えられており、立春は冬至と春分のちょうど中間の日にあたる。暖かい地域では、ちょうど梅の花が咲く時期にあたる。
立春が年初となるため、中国を起源とする四柱推命や風水などでは、立春で年が変わるとしているものが多い。
太陰太陽暦では立春前後の新月を朔(ついたち)に設定する関係から、一年の始まりは立春が起点となり、その前後の新月が新年の1月1日になる。そのため、年によっては年が明けるよりも先に立春が来ることがある。

(3)グレゴリオ暦で定義する新年
グレゴリオ暦は、その前身であるユリウス暦、さらにその元となったローマ暦に手を加えていった結果として出来上がった暦になるため、新年の定義が変遷している。

(3-1)ローマ暦
最初期のローマ暦は、古代ギリシアの暦を元に、紀元前753年に古代ローマで設定された。期間は春分の日から始まって、冬至で終わっているため、月数は10ヶ月で、現在の暦で言うところの3月から12月までしか存在していなかった。そのため、新年は春分の日ということになる。
ローマ暦では月を数字ではなく名称で呼んでおり、それが現在の英語の月の名称に繋がっている。したがって3月が新年であっても不都合がなかった。
紀元前713年に改暦されて、1月と2月が加わったが、その時点では新年は3月とされていた。キリスト教が広まる以前のミトラ教においては、冬至が1月1日とされていた関係もあり、このころは1月1日は冬至であったようである。ただし、この時点では新年とは、あくまでも春の3月のことであった。
この後も何度か改暦が行われ、紀元前153年1月1日には年のはじまりを3月1日ではなく、1月1日に変更した。
この頃の暦は、精度が高くないため、使い続けることで、誤差が蓄積して行くことになり、冬至・春分とのずれが生じてくる。さらに、権力者による恣意的な暦の運用が行われたため、暦と季節の間には3ヶ月ものずれが生じ問題となっていた。

(3-2)ユリウス暦
ローマ暦の問題を解決するために、地球が太陽の周りをまわる周期を元にして作られた太陽暦の一種。ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)によって制定され、紀元前45年1月1日より実施された。1年の始まりはローマ暦の考え方をそのまま継承している。
ユリウス暦でも一年の小数点以下の日数(365.24日)が誤差となって次第に拡大することになり、暦と季節の差が問題となっていく。

(3-3)グレゴリオ暦
16世紀も後半になると、ユリウス暦と実際の季節とのずれが顕著になり、本来なら3月25日となる春分の日が3月11日にまでずれ込んでいたため、問題となっていた。そのため、教皇グレゴリウス13世は新しい暦を制定し、春分の日を325年のニケア宗教会議のころの日付(3月21日)まで政治的に戻すことにし、同時に暦の改良を行い、1582年2月24日に発布した。
つまり、グレゴリオ暦は春分の日を起点として考えているが、新年については、明確な定義を持っていないことが分かる。

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