その1 陸前高田、大船渡、釜石 (4/8更新)

東日本大震災

この記事を書くかどうか、しばらく悩んでいましたが、「見た者は、伝えるという役割がある」ということで書くことにしました。被害状況などの痛ましい写真も多いのですが、3年経った現状を伝えるには必要だと思いましたので、記事とともに掲載します。

1 東北自動車道 郡山南

2011年9月に通ったときは、地震による、土砂崩れ・地割れ・うねりなどがまだあり、80Km/h程度で走るのがやっとの状態でしたが、現在は舗装も引き直されており、通常通り走行できます。

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パソコンで見ると折りたたんだ状態で見えることがあるので、その場合は以下の「続きを読む」リンクをクリックして読みます。携帯やスマートフォンでは、そのままスクロールして読みます。

2 陸前高田

ここは、津波による被害がない地域です。なので、普通に地方の風景です。この写真の奥が、少し高くなっているのですが、その先と、ここでは風景が大きく異なります。

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3 陸前高田

上の写真の先に進むと、景色が一変します。突然何もない世界になります。
まるで、道路に対して一本の横線が引いてあるような感じで、あるところから、通常の地方の風景から、一変した何もない世界に変わります。

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4 陸前高田

津波地域に入ると、人の生活していた痕跡が無くなります。
写真に写っているのは、津波によって流された鉄道の橋脚が一部だけ残っているものです。
陸前高田の中心部に入る前で、既にこの状態です。

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5 陸前高田

そして、陸前高田駅前から眺めた風景がこちらです。ここには、かつてにぎわいのある町がありましたが、津波によって一変してしまいました。

震災前のこちらの写真と比較するとその違いが良くわかります。
陸前高田市探訪 > 陸前高田駅前ロータリー
http://www15.atwiki.jp/konkatu346/pages/83.html

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6 陸前高田

国道45号沿いの雇用促進住宅。鉄筋コンクリート造5階建ての5階部分まで浸水しています。4階部分までは、ベランダのパネル・窓枠までもが流失しており、津波高さが一目でわかります。

この建物については「震災遺構」として保存されることが決定しています。

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7 陸前高田

道の駅高田松原TAPIC45は、陸前高田市の国道45号にあります。こちらも鉄筋コンクリートは残っているものの、建物の内部は壊滅状態です。

この建物については「震災遺構」として保存されることが決定しています。

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8 陸前高田

道の駅高田松原TAPIC45の駐車場に上記の建物と向かい合うように立っているのが、追悼施設です。平日昼間にもかかわらず、追悼のために花束を持ってくる人が後を絶ちません。

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9 大船渡

草が生えているので、ちょっとわかりにくいですが、道路左側の一面地帯は、基礎部分のみを残すのみで、建物が流失しています。写真には写っていませんが、道路右側も同様で、更地状態になっています。

写真の奥の方は、津波被害が比較的少なかった地域になります。陸前高田のように線が引かれているような違いではなく、被害の大きい地域とそうでない地域が少しずつ重なって変化していきます。

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10 大船渡

和菓子屋さんだった建物です。1階2階とも壊滅状態になっており、屋根の部分の青い看板を拡大したのが次の写真です。

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11 大船渡

東日本大震災の津波到達水位8.5m。屋根の上まで津波が到達しており、2階建ての屋上に上っても助かる保障はありません。

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12 大船渡

木造建物や工場などは、根こそぎ流失しているのに対して、鉄筋コンクリートの丈夫な建物は、その姿こそ残っていますが、津波の襲来を受けた1階2階部分が壊滅状態になります。

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13 釜石

釜石市内に入ると、更地とコンクリート製の建物が目立ってきます。修繕済みの建物もあれば、1階部分が損傷したままベニヤ板を貼っている建物、あるいは放置されている建物など様々になります。

放置されている建物は少ないので、知らないで街を通過すると、津波があったことに気が付きにくいくらいです。それでも、この写真のような建物を時々目にします。

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14 釜石

上記の建物を反対側から見他写真です。津波の威力がいかに大きかったかがわかります。

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15 釜石

ここは、がれきのみ撤去なので、津波後の状態に近い状態になります。1階から2階にかけて、津波によって建物が損傷しているのがよくわかります。

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コメント

  1. tatsu より:

    はじめまして。
    tatsuと申します。
    3年経ちましたが、変わりゆくものと変わり果ててしまったもの、
    その一方で、少しも変わらないものがあるのだと、
    まざまざと見せつけられた感じがします。(良い意味で、です)
    でも、きっとそれは目に見えるものに限らず、
    目に見えないもの、とりわけ「人の心」もそうなのでしょうね。
    あの日から変わりたくても変わることが出来ずに、
    苦しんでいる方が、たくさんいらっしゃるはずだと察します。
    記事にする上で躊躇されたようですが、
    実際に行かれた方の言葉や心境は伝わるものが違います。
    掲載していただき、感謝申し上げます。
    ありがとうございます。

  2. 八雲 より:

    > Tatsuさん
    報道などでは知っていましたが、実際に行ってみると3年経ったのにまだこんな状態だったのかと驚きました。
    阪神淡路と比べると、ずいぶんと時間がかかっていると思います。千年に一度と言われる津波なので、復興をどうすべきかについて今でも議論が纏まっていないということが、復興のブレーキになっているのは確かですね。

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