最近は、コロナ疲れということが言われており、マスクをしないで飲食する人も多くなってきているようです。
喫茶店でも、マスクをしないで会話している人が大部分になっています。
感染防止の観点からは、好ましくないことですが、他人の飲食にまで文句を言う権利はないので、自分はマスクをして自衛しています。
でも、これをコロナ疲れの一言で片づけてしまうのは、間違いではないかと思います。
コロナ疲れではなく、コロナ適応と言った方が良いのではないかと。
コロナ適応とは、コロナウィルスが周辺にあることが日常化し、コロナによる死者や重症者が出ても気にしなくなってしまうことです。
交通事故の年間死亡者数は、ここ数年は3000人前後で推移しています。コロナと同じくらいの死亡者数が出ているのに、まったく騒がれません。
交通事故死亡者が出るということが日常化しているため、これに適応している状態です。
適応の別の例としては、戦争があります。
戦争では死者が出ます。戦争当初は死者の数を大々的に取り上げるのですが、一年もたてば死者が出るのが普通になってしまいます。
一人一人の死は、それぞれ大きな意味を持ちますが、沢山の死者が常に出るようになると、直接死に関わらない人達は、その状態に適応して死を考えなくなってしまいます。
これは、人間が生きていく上で、環境の変化に対応するために組み込まれた機能であるため、時間が過ぎて行けば行くほど適応が進んでいきます。
コロナが日常になればなるほど、コロナを意識しなくなって行くという適応が起きることで、感染対策をしない人や忘れてしまう人が増加していくことになります。
大切なのは、自分の身は自分で守るということです。
そのためにも、しっかりと感染対策を継続することが必要です。
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