私が移動しているのではない、世界が移動しているのだ

電車に乗って窓の外の風景を見ていると、自分が動いているのか、それとも、自分は動かず風景の方が動いているのは、良く判らなくなることがありますね。

通常、私が動くから風景が変わるという認識をしていますが、真実はその逆です。
私は動かず、風景の方が動いているのです。

瞑想には動的な瞑想と、静的な瞑想がありますが、動的な瞑想では自分と世界との関係を深く見て行くと、常識とは逆の結果になります。

私という存在は、個人であり、世界から見れば小さな存在であるというのが、一般的な認識ですが、それは真実ではありません。
私という存在は、全体であり、世界の源です。この世界が存在するのは、私が存在するからなのです。ですから、あなたが歩く時、動いているのはあなたではなく、世界の方なのです。あなたに向かって、世界が移動しているのです。

これを実感する方法として、歩く瞑想があります。

まず最初は、歩いている時に足の裏で感じる感覚だけに注目します。靴を履いた状態よりは、はだしの方が感じやすく、歩く場所も人工的な場所よりは、自然の場所の方が分りやすくなります。

歩いている時に、足の裏で感じている感覚に注目します。この時に、ありのままの感覚が大切です。自分の知識や経験を脇において、足の裏で感じている感覚だけに注目します。
すると、時間や肉体感覚は消えて、足の裏で感じている感覚だけを観ることが出来るようになります。

次の段階では、この感覚を目で見ている世界を同じように感じます。
目で見ている時に、自分の知識や経験を脇において、見えている世界だけを感覚します。
自分の知識や経験を脇においた時、そこに見える世界は、自分が動いている世界ではありません。
世界が自分の方に動いてきます。 初めは脚が動く感覚の方が支配的なので、難しいかと思いますが、ありのままを見て行くと、この感覚を掴むことができます。掴めた時は驚きです。

これは、私という全体性の存在が世界の中心であるということです。

そこに、個人というものは存在せず、私が世界の中心であり、世界そのものであることを体感することになります。

つまり、あなたの本質は個人というものではなく、この世界を生み出している源であり、源泉そのものであるということを観ることになります。

あなたが、この世界を創造している源なのです。

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