定着した悟りへのプロセス

定着した悟り(非二元)へのプロセスは三つの節目(黄色マーカー)を経過することによって起きます。

[二元]

(無意識的欲求)

(知的理解)

 一瞥体験 

(探究)

 覚醒 

(探究)

 解放 

[非二元]

●二元
この状態では、肉体と精神を持ったこの存在が私であると信じています。
世の中の大多数の人がこの段階にいます。

●無意識的欲求
これが起きる人の数は多くないですが、悟りや気づきといったことについて、無意識的欲求が起き始めることになります。
この時点では、「この世界は何か違う、もっと深い真実があるはず」という想いが無意識的に湧き出てきて、それが何なのかを調べ始めます。

●知的理解
書籍やインターネット上の情報にアクセスし、この世界は元は一つ(ワンネス)であることを理解し始めます。
この時点では、知的・思考的な理解でしかないので、知っているけど普段の思考は一つではなく二元的な“肉体と精神を持ったこの存在が私”すなわち、「個人が存在する」が無意識的な前提となっており、根底的な変化は起きません。

一瞥体験(いちべつたいけん)
「この世界の全ては繋がっていて分離がなく、ただ一つである」が現実であるという体験をします。しかしそれは長く続かず、一瞥して終わってしまいます。
この一瞥体験は数回起きることもあります。
あるいは、一瞥体験が起きずに次のプロセスに進むこともあります。
一瞥体験をすると、知的理解でしかなかったワンネスが真実であるという根底的理解に変わります。知的理解というのは、反論や反証があれば覆ってしまうことが起きるのですが、根底的理解に変わると覆ることが無くなります。完全に信じるようになります。

●(一瞥後の)探究
ここから、この世界の本当の姿とは何かを探究することが始まります。
「ワンネス(全体性)」を完全に信じているものの、もう一方で「個人が存在する(分離)」も同時に信じている状態になります。
思考が「個人は存在しない」と「個人は存在する」の二つの間を行き来するようになっているため、以前経験した一瞥をまた体験したいという個人的欲求が出てきて、もがく状態が続きます。

覚醒
具体的な何か(原因)があって覚醒するのではありません。ささいなきっかけ、あるいはきっかけすらなく、これは起きます。起こそうとすれば、個人という分離が現れて起きなくなります。
思考は、「個人は存在しない、全体性のみが存在する」を基本とするようになり、「個人は存在する」は幻想にすぎないという認識に至ります。
この時点から、普段何気ない日常こそが全体性そのものであるという理解になるため、一瞥体験を求めなくなります。

●(覚醒後の)探究
覚醒はプロセスの終わりではありません。次の段階への始まりです。
思考は、「全体性が存在する」が中心になるように切り替わっているのですが、長年慣れ親しんだ「個人は存在する」という思考パターンがまだ残っている状態です。
ささいなきっかけで、「個人は存在する」という思考が発動します。発動するパターンは様々なので、そのつど「個人は見かけにすぎない」というパターンに切り替えて行くということが起きます。
「悟後の修行」と言われるのが、このプロセスで、これをきちんと行わないと「全体性が存在する」と「個人は存在する」の間の矛盾に苦しむようになるので、非常に大切です。

これを書いている時点で、私はこのプロセスに居ます。

 ●解放 ([非二元]への定着)
もはや、「個人」はなく「全体性が存在する」だけが思考の中にあります。
「個人は存在する」は、知識として残り、他の人達との交流において使われます。
思考が「個人は存在しない」と「個人は存在する」の二つの間を行き来するようなことは、もう起きません。
「定着した悟り(非二元)」と呼ばれます。
そこにあるは、平安と静寂、そしてくつろぎです。

(補足)
トニーパーソンズの文章をヒロさん(https://resonanz360.com/)が翻訳した記事にインスパイアされた書いたので、参考までに、それぞれに対応する英単語を掲載しておきます。

一瞥:glance
覚醒:awakening
解放:liberation

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