温泉に対する私のスタンスについて、こちらに書いておきたいと思います。
世間一般的には、私の温泉に対する観点と同じ見方で見る人は、まだ少ないとは思います。
一般的には、
温泉 = 観光、レジャー、癒し
という見方が主流だと思います。
しかし、この見方はごく最近出来上がったものであり、かつては、
温泉 = 健康づくり(自己治癒能力の向上)
でした。そして、私の温泉に対する見方も同じです。
かつて温泉とは、健康をつくるための場だったのです。
現代のように、病院・医療が発達・普及する前の時代(といっても、昭和以前なので、意外とごく最近の話です)においては、温泉というのは「湯治」という言葉があるとおり、健康づくりのための場所でした。
温泉は、自己治癒能力を活性化することで、結果として病気を治し、健康を獲得するために行くものでした。
戦後の西洋系の医療の発達・普及により、病気を治す=医者・病院に行く というイメージが出来上がってきました。
そうなると、これまで健康づくりの場であった温泉は、存続の危機を迎えることになります。ちょうど、そのころ日本は高度成長期になり、働くことへの対価としてのレジャーが普及を始めます。そのレジャーブームに、温泉は(良くも悪くも)対応を余儀なくされていくことになり、温泉の泉質よりも、設備・食事といった方面に関心が強くなってしまいます。
しかも、温泉の源泉は湧出量が限られているので、客数には上限があるのですが、設備・食事といった面であれば、いくらでも客数を上げることが可能になります。こうして、温泉地は、健康づくりの場から、レジャーの場に変貌していくことになります。
温泉が、健康づくりからレジャーに変貌すると、利益の為に温泉宿泊施設も、沢山の人を入れるために大型化して行き、湯量が不足してくるので、加水、循環式がといった方式を取り入れていきます。そうして、泉質より(源泉ではなく、湯船の)湯量が重視されて、本来の温泉とは、違ったものになっていきます。多くの有名温泉地において、こういった現象が見られます。
しかし、これは、温泉に行くことの意味を希薄化させてしまうものです。設備・食事が売りであれば、何も温泉地でなくても、その欲求を満足させることができ、温泉に行くことの意味を失ってしまいます。つまり、長期的に見れば、自分で自分の首を絞めているというわけです。
少し前に、温泉ブームがありましたが、このブームでは、露天風呂が注目されていました。これもあくまで「設備」に注目が集まっているだけです。なので、温泉地に行くと、無理やり作った露天風呂によく遭遇します。無理やり作った露天風呂というのは、内湯のとなりに、板で(天井まで!)囲った形ばかりの露天風呂です。そんな露天風呂を、露天風呂と呼ぶのもどうかと思いますが、このブームを作ったのは、TV番組です。そんな、形ばかりの露天風呂に入っても、健康にはなりません。
温泉というのは、あくまでも、健康づくりの場ですが、昔の人は、ちゃんとわかっていました。なので、温泉番付というものが存在しています。温泉番付には、効能も書いているのですが、健康になるためには、どの温泉に行くのがいいのかを書いています。
現代の視点から見ると、ちょっとこれは・・・ というものもあるのですが、温泉番付の上位のお湯はエネルギー的に見て、良い場所が多いのも事実です。そうでなければ、現在まで温泉番付が残ってはいないと思います。
私がエネルギー的に見ているのは、そういった見方です。そういう意味で、私がやっていることは、パイオニアでもなんでもなく、かつて日本人が知っていた温泉の本当の使い方の復興ということです。
“本物の温泉” をコツコツと守り続けている方もいらっしゃいます。草津は、「泉質主義」を町全体で掲げています。ちゃんと、「湯守」として、源泉を守り続けている宿もあります。
しかし、そういうのは地味なので、メディアにはなかなか載らないのが現実です。
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