東国三社のうち、香取神宮・鹿島神宮は古くから現在の場所に建てられていたといわれています。一方で、息栖神社については、古くは現在地より東の地にあり、現在地に移転してきたということが言われています。
ところが、FloodMapを使って見てみると、以外なことが見えてきます。
上図は、FooldMapで、海面を9mに設定したもので、青いのが水域、白いのが陸地になります。Floofmapの四角の一辺は50mくらいになっているので、大雑把な陸地を示していますが、ちょうどその中に、息栖神社の本殿と社務所が入ります。周囲は、海域なので、海域のなかにポツンとある島のように見えます。
ここが、ちょうど東国三社のうちの息栖神社になるということを考えると・・・
ここからは、想像ですが:
そもそも、息栖神社は、上記の島状の陸地にあったものが、台風などの影響で倒壊し、一時的に東の方の陸地に移転していたのだが、その後元の土地に戻った。
と考えると、東国三社のそれぞれの立地の色々なことがつながっていきます。
というのも、大戸神社から香取神宮、息栖神社までのラインと、大戸神社と鹿島神宮要石、香取神宮と鹿島神宮本殿間のラインは、非常に正確なのに対して、
息栖神社と鹿島神宮の南北ラインは、他のラインに比べて誤差が明らかに大きいという特徴があります。
こちらの記事で書いていますが、大戸神社・香取神宮・鹿島神宮のラインは非常に正確です。
東国三社の大元の神社はどこか?(リンク)
となると、息栖神社は大戸神社・香取神宮ライン上にそもそも位置すると考える方が自然ではないかと思います。
つまり、神社のラインとしては、精度的に見て、
大戸神社 ‐ 香取神宮 ‐ 息栖神社 (東西の春分、秋分線)
大戸神社 ‐ 鹿島神宮要石 (夏至の日の出ライン)
香取神宮 ‐ 鹿島神宮本殿 (45度のパワーライン、あるいは鬼門ライン)
という3つラインを形成しており、たまたま息栖神社と鹿島神宮が南北のラインの近い場所にあったと考える方が、自然なのではないかと思います。
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