武田時代の刀傷を箕輪城で供養しました

スピリチュアル

背中が痛い

昨晩(4/27)から背中が痛い。打撲したわけでもなく、筋肉を傷めたわけでもない。
とりあえず、シップを貼ってみますが、少し時間が経つとシップを剥がしたくなってしまい、結局剥がしてしまいました。

どうやら、箕輪城時代の刀傷と思われます。
となると、箕輪城に行ってみないと解決しないので、ひとまず箕輪城に向かいます。

箕輪城に向かって車を走らせると、痛みが和らぐので、やはり箕輪城時代の刀傷のようです。

現在は箕輪城の建物は現存しないので、正確には箕輪城となりますが、私が箕輪城城主時代の出来事に関連しているので、この後も現役の箕輪城と表記します。

箕輪城に向かう

関越道を北上し、駒寄ICを降りて、県道を進みます。

どうやら、私を呼んだ人がいるようです。

途中のコンビニで供養のためのお酒と食を買いますが、

日本酒はすぐに分かったようで、「これ!」と指定してくるのですが、一方食の方は、現代のコンビニ食は武田時代には無いものばかりなので、迷ったあげくその時代でも分かりやすい燻製卵になりました。

箕輪城駐車場に到着

比較的最近に整備されたようで、広い駐車場にトイレもあります。

車を停めて、箕輪城に向かいます。

箕輪城

少し歩いて、「搦手口」から「二の丸」に進みます。

二の丸は駐車場もあり、こちらにも車を停めることが出来ます。
初めて箕輪城に行った時は二の丸に車を停めました。

そこから先は、車は通行禁止なので徒歩で行きます。
「本丸門馬出し」を過ぎると、本丸になります。

箕輪城 本丸

どうやら、ここで供養になるようです。
日本酒と食を置く場所を探していたら、本丸の端に木の切り株がちょうどあったので、そこで供養することにしました。

供養すると、背中の痛みは消えて行きます。

供養が終わったところで、誰が呼んだのかを観てみると・・・

刀傷は私が受けたものではなく、箕輪城主時代の部下が受けた傷でした。

傷を受けて死んだものの成仏ができず、誰かに成仏できるように依頼先を探していたところ、当時の上司である私に依頼しようということで、自分自身の刀傷の痛みを私に送ることで気づいてもらい供養につなげるというものでした。
なので、日本酒が二本と燻製卵が二つ(私と部下の分)というのも納得です。

縁もゆかりもない人ではなく、昔の部下なので箕輪城まで供養に出掛けるのも仕方ないですね。

箕輪城を後にして

武田城に登城して帰還報告
こちらの記事の続きです。 ●シャンゴで昼食 箕輪城での供養も終わり昼食の時間なので高崎に戻って、群馬を代表するイタリアンレストラン「シャンゴ」の問屋町本店でパスタランチを食べます。 Sサイズを頼んだのですがこのサイズ。東京ならLサイズですね...

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