スサノオの石と私が呼んでいる石があります。
この石は、宮崎の都農神社(つのじんじゃ)に参拝し、
摂社の素盞嗚神社にも参拝したときに、スサノオさんに、「この石持って行け」と言われ、良くみると小さな社殿にころころとある小さい自然石の一つを持って帰ったものです。
この小さな石は、スサノオさんのエネルギーを持っているので、分かる人が持つとスサノオさんのエネルギーであることが感覚的に理解できます。
最近では、レンタルルームのスタッフの人に試してもらったのですが、そのエネルギーが、スサノオさんであると感覚的に解かり、ちゃんとスサノオという名前を出してきました。
この場合、古事記や日本書紀の物語をよく知らない人だったので、石が持っているエネルギーがスサノオさんであるということは、疑いもなくわかったのですが、古事記や日本書紀の物語を信じている人で、エネルギー的な感性がある人がこの石を持つと、感性的にスサノオさんとわかるのですが、次の瞬間に、古事記や日本書紀に書かれているスサノオさんと、明らかに違うという疑問を持つので、頭の上に「?」マークが浮かぶ状態になります。
古事記や日本書紀に書かれているスサノオ像というと、荒ぶる神ということになるのですが、それは古事記や日本書紀を創作するときに、新たに創られたイメージでしかありません。実際のスサノオ像は、むしろ穏やかで優しく、それでいて動くべき時は動く(その時に必要なパワーを発揮する)という感覚です。
なので、本来のスサノオ像というのは、理知的で、判断力に優れた、統治者です。古事記や日本書紀に書かれているスサノオ像とは、ずいぶん異なります。
なぜ、このような違いが生まれたのかというと、古事記・日本書紀が作成された時代背景に、起因します。
古代において勢力があったのは、島根県出雲地方の出雲族と、宮崎県日向地方の日向族になり、当初は出雲族の方が優勢で、奈良地域や現在の名古屋周辺の開拓も行っていました。そのため、この二つの地域には素戔嗚命、大国主命、大己貴命を祭神とする出雲系の神社が多くみられます。
一方で、日向族というのは、天照大御神を中心とした一族になります。
その後、出雲族よりも日向族の方が優勢になって行きます。国譲り神話にあるように、天照大御神を主祭神とした日向族が優勢な時代になり、出雲が国の一部(全部ではなく)を日向族に譲ることになり、さらに奈良地域における政権も日向族が中心に変わって行きます。古事記・日本書紀が書かれたのが、ちょうどそのころになります。
出雲族から、日向族に政治的権力が変遷したので、日向族としては、自分たちが正統な権力者であるということを示す必要があり、そのために書かれた歴史書が古事記・日本書紀であるということです。
歴史的にはかつて出雲族が優勢であったため、この歴史を消すことは難しいので、古事記・日本書紀という歴史書の中での位置づけとして、日向族を優位に、出雲族を劣位にした神話を創作していったわけです。
そのため、日向族の天照大御神を天津神、出雲族の素戔嗚命や大国主命を国津神に位置づけしてあり、さらに素戔嗚命を天照大御神の弟にし、さらに傍若無人な神に無理やり仕立てあげているわけです。
実際の素戔嗚命は、理知的・理性的な性格なので、実像が伝えられていません。
以前カウンセリングに来られた方で、「古事記・日本書紀を読んでいると、なぜか腹が立ってしょうがないのですが、私って変なんでしょうか?」という話があったのですが、この方も、出雲系の過去世を持っているので、現世において記憶としてはないものの、歴史的な事実と古事記・日本書紀に書かれていることに、とても大きな違いがあることが感覚的・直観的には分かるので、腹が立つのも当然なことになります。
神話というのは、全てが事実ということではなく、“事実を基に人間が創作した物語である”ということを知っておく必要があります。
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