スピリチュアル・インタビュー (04)

スピリチュアル

日時:2008年9月10日 12:00~13:30
インタビュー&タイプ: cheer
インタビュアーBlog: ちあの散歩道 http://blog.goo.ne.jp/cheer_001
編集:八雲

■■「憑く」と「出る」……

八雲:最近、どこか、お寺とかに行ってきましたか?

―― えっ!?憑いているんですか?私に何か

八雲:憑くんではなくて、出るんですけど。

―― すると、出るっていうのは映像的に出るんですか?

八雲:映像的に出てくるんです。後ろ側に。

―― えっ!!~、凄いですねえ!!憑くではなく、ですね。

八雲:みんな、憑く憑くっていいますが、“出る”ですね。

―― では、そこから質問を。よく憑依されるっていいますよね。

八雲:うん、うん。

■■「憑依」と「出る」

―― 「憑依」と「出る」っていうのは違うんですね。

八雲:まったく違います。「出る」というのは、その人に対して守護とか、指導とか、役割りとして出てきたり、その人の関係性を見せたりする場合は「出る」って言っているんです。憑依というのとは全然別の問題です。

―― 基本的には、「出る」というときは、いいことと捉えていいんですね。いいイメージで。

八雲:私の場合はですよ。
「出る」っていうのを憑依のことで“出る”という人もいます。

―― 憑依でも「出る」という言い方をする人がいるんですか?

八雲:多いです。まず、憑依っていうのがどういうことかというのは、その人の人格とか、その人自身を乗っ取っていくのが憑依なんです。
今まで、うちに来た人で憑依があったのは3人しかいないです。それだけ少ないんですよ。

―― 一般的には、憑依現象などとセンセーショナルに言うことが多いですよね。

八雲:言っていることが多いけれども、そもそもは少ないです。うちでは正確に人数を数えてるわけではないのですが、ざっくり計算したところでは、カウンセリングを受けられた方は1000人は超えていると思うんです。ということは1000分の3の確率なんです。うちに来る人が1000分の3という確率レベルだとすると、世間一般ではうちの確率のさらに数百分の一とか千分の一になるわけです。ただし、みんなが憑依とかを知っているのは、テレビとか雑誌とかで面白おかしく扱えるからなんです。実際のところ憑依ってすごく少ないんです。

―― では、“出る”ということなんですが、出るものというのは、たとえば今言って下さった弁天様とか、観音様とか、その他にも?

八雲:神様、仏様、天使様、などなどいっぱいありますから。あと、ご先祖さんが出るときもあります。ぼくの場合は、出ると言っているのは、その人との関係性で(後ろに)出ると言っているんです。

―― すると、先におっしゃられたみたいに、良くないものは、先に言わないで取って下さる?

八雲:先に外してから言います。

―― というのは、私たちクライエントからみるととても安心ですよね。よく、カウンセリングを受けることを恐れている人っていますが。リーディングなども訊かれて、「行って相談してみたらいかがですか?」と伝えても、恐れているというか、何かよくないことを言われたらどうしようという気持ちが強い人って多いです。「言われたら言われたで、それが原因ならそれを外してもらえば気分も安心するのではないですか?」と言っても恐れが強いようですね。

八雲:恐れている人というのは、基本的に半端な知識しか持っていない人です。知識無い人は恐れようがないですから(笑)。

―― 自分にとって良くないことや悩みが起きると、地獄の底に落ちるようなことを言われたらどうしよう(笑)と想定していることが多いんですよね。解決の糸口が見つからなくて本人も悩んでるでしょ?
カウンセリングを受けるときも、自分で状況判断して、安心して受けるといいですよということにつながりますね。

八雲:出るというのは、あくまで私の場合は良いものの場合でしか言わないです。悪いものが出てきて、怖がらせてもしょうがないし。

―― 先日のインタビューのときも、八雲さんは、恐怖に訴えかけないとおっしゃったでしょ。これってお聞きしてすごく良かったです。基本的にインパクトのあるものは恐怖に訴えかけてその恐怖が残って……よく考えてみると、恐怖に訴えかけているものっていっぱいありますよねぇ。それって、視る人の良心とかもあるんでしょうか。

八雲:というか、恐怖を使っている人たちっていうのは、おおむね大体3つくらいに分かれるんですよ。「何もわかってなくてそれを言っている人」、「それをやるとみんなが注目してくれるからやる人」、「本気で怖がらせている人」の3つです。

―― それが、複合的に絡んできたりとか、ですね。

八雲:そうですね。

■■リーディングについて

―― リーディングをやっていらっしゃいますよね。リーデイングについても、一般的にはその場所に何らかの崇りがあるんじゃないかとかですね、家なり、お店なり、崇りを受けて今こういうふうに自分たちがなっているんではないかと、そんな不安を持っている人が私の周りにもときどきいるんですが。

八雲:不安を持っている人は結構いますけど、現実には、崇りのケースは非常に少ないです。場を視るときは、「今」という瞬間から視たときに、「土地の状況」がどうか、「建物の状況」がどうか、「住んでいる人の状況」がどうかを視ます。この3つを視ないといけないんですよ。

―― あくまで、“今”という状況の中でですね。

八雲:はい。それと、過去にさかのぼった状態でどうだったのかという、これだけ視ないといけないんですよ。大体問題が多いのは住んでる人の方なんです。住んでる人がよけいなことで怖がってるというケースの方が圧倒的に多いです。

―― 視るというのは、もうちょっと具体的に言いますと?

八雲:われわれ、通常3次元的にものをみると言われていますよね。それとは違った次元があるんです。そこ辺を視るんです。たとえば、その場所の気がいいとかいう見方をするときもあります。

―― 気がいいというのは、その場所がいいという感じになりますよねぇ。

八雲:で、以前視たところは、前住んでいた人が問題のある人で、その人の想念が残っているというケースがありました。あるいは、ある場所に行ったときには、建物の建ち方が問題だというケースもありました。建物の建ち方が悪いというケースは、大体外から観てあきらかに変な建物です。その場合が圧倒的に多いです。それでおかしいというケースが多いですよ。観た目が普通の場合は建物に問題があるケースが非常に少ないです。

―― おかしいというと?

八雲:いびつな格好をしているとか、傾いているとかいう、間取りが変な間取りとか。普通の感覚で変だなあと思うときのことが多いです。

―― 前の人の想念が残っている場合というのは?

八雲:基本的には浄化はします。浄化するとほとんどきれいになります。

―― 浄化の方法というのは?

八雲:浄化の方法はケースバイケースです。たとえば水を使うとか、クリスタルを使うとか、あとは線香とか、セージを焚くとか、もしくは、浄化できる存在を呼んできちゃうとか。

―― 今、お話をお聞きしたことが、トータル的にはリーディングということになるのでしょうか?

八雲:場所を視たときとか、そこに行ったときに、何が原因か、なぜ居心地が良くないというふうになっているかを視れば、その原因を取ればいいわけですから。
今まで視ていると、残留しているものがあるという場合が多いですね。つまり、前住んでいた人が何かやってるとか、その土地を造成するときにきちんと浄化していなかったり。

―― よく一般的にお祓いとか、神主さんを呼んでとか言いますよね。それは大事なんですか?

八雲:とても大事です。

■■浄化は掃除から

―― たとえば、前使っていたお店を新しく経営者が代ったなどというときも、他にも引っ越しとか、事業を起こす場合とかも、そういう場合も最初に建物を浄化するというのは。

八雲:どうしても必要というケースは多くないですが、やっておいた方が安心できていいです。

―― そのままでも大丈夫な場合もあるということですか?

八雲:ええそうです、基本的にはお掃除しておいた方がいいんです。どこかの部屋を借りるとしたときに、その部屋を借りて自分が使い出す前に、たとえそこがきれいであっても、自分が先に掃除するということです。

―― 自分の手でということは、自分のエネルギーをそこに入れるような感覚ですか。

八雲:エネルギーを入れるわけではなく、掃除をするということです。大半はそれできれいになります。

―― そうしますと、今、一般的に「掃除本」というのがたくさん売れていますよねぇ。トイレ掃除とかいろいろ。たしかにきれいになれば気持ちがいいですけど。汚いよりきれいな方がいいと私は捉えているんですね。修行をする必要がある人は徹底的にやればいいと思いますが、あとはふつうにきれいだなと思うところくいらいでいいんでしょうか?

八雲:それがいちばんいいです。自分にとって心地いい空間にするんで掃除するのがいちばんいいです。よっぽどでない限りはそれで大体きれいになります。

―― 時々、外から帰ったときに家の中が霞んで見えるときがあるんですけど、そういうときは窓をパァッと開けて、そのあと窓を閉めてお香を焚いたりセージを焚いたりするんですけど。アロマの場合もありますけど、そうすると結構スキッとする場合があるんですけど、私の疲労などと関係があるんですかねぇ。

八雲:そういう場合は、実際に現場に行ってみないとわかりませんが、その場合も窓を開けるとかはやっといた方がいいです。単に空気が澱んでいて自分が気持がよくないというケースもあるんですね。ちなみに、このカウンセリングルームも、あるカウンセラーが借りて、次に別のカウンセラーが使う場合は30分は空けることにしています。部屋の窓も全部開けちゃう、そういうのをやるんです。
ここを借りるような人だからなんらかの高いエネルギーを持っている人たちなんですけど、30分位窓を開けておくとそれだけでもきれいになります。空気の入れ替えをするのが一番いいです。

―― 全部、開けて?

八雲:空気入れ替えたら気持ちいいでしょう。ということなんですよ。(笑)。

―― では、その場所に崇りがあるということも、数的には少ないということですね。

八雲:確率的には非常に少ないです。

―― 物事が、たとえば健康だったり仕事だったりがうまくいかないと、崇りじゃないかという発想を持ったりしますね。

八雲:崇りという表現はあまり好きじゃないんだけれども、まったくゼロではないです、確かに。ただそれを視た時に、崇りうんぬんじゃなくて風水的にその設計はどうかなという家ってよくあります。崇り以前の問題です。
実際に僕も、あるお店の設計の図面を見た時に、はじめの図面を見た時には非常に良く出来てて、もうこれでいいんじゃないという感じだったんだけど、色々事情があって、再設計したのを見たときに、それは出来上がって見ちゃったんですけど、何でこうしちゃったの?と。実際行ってみるとすごい使いづらいんです。作業をしていると人と人がぶつかりやすい。設計のレベルで何でこうしたの?というようなところで、事故が何回か起きたりすると、崇りと言っちゃったりする人がいるんです。

―― 動線の部分だったりですね。

八雲:同じ店だったからほんとによくわかります。一枚目の設計図のときは、僕も何も文句付けようがないくらいで、そういうこともあります。

―― 流れもスムーズで、空気も風も滞りが無く自然に流れるということは気持ちいいですよね。気持ちいいということは大事だという考え方でいいのですね。

八雲:作りとしては問題がないにも関わらず、何かがあるんだったら別のことを考えなくちゃならない。これが、一般の家庭とかの問題であれば、ちゃんとお掃除を毎日やって、空気の入れ替えもちゃんとやって、水なら水撒きもちゃんとやっているのに起きる、というときには何か考えた方がいいです。

―― そう言われてみると心当たりがありますね。ちゃんとそこら辺をやっていない人って多いような気がします。

八雲:空気が澱んできたりすると気分がよくないですし。ただし、数は少ないですが、中にはほんとにその場所に問題を含んでいる土地が無くもないです。

■■結界について

―― 結界ということについて、お聞きします。
四隅にお塩を置くとか、そういうのってよくありますよね。昔、ある健康食品の説明会に行きましたらね、古くなった液体のその商品を結界の道具として家の周りに撒くといいなどという笑い話のような話を聞いたこともありますし(笑)。
そこまで行くと、あやしくなってきますが、結界というのはバリアーを張るということなのでしょうか。

八雲:基本的には、バリアーという話になります。
僕は、基本的に水晶を使って結界を作る方法をやっています。なんで水晶を使うかというと一番楽なんです。お塩だと定期的に変えないといけないし、塩と水晶だと水晶の方が強いです。昔から日本は島国でもあるから、水晶と塩はどっちが入手しやすいか、ということを考えると、塩なんですね。だから塩を使っていた。ただ、水晶の方が楽にいい結界を作れるんです。
ちょうどこないだ、ヒーリングセミナーやったときに、ヒーリングをやっている最中に、黙って水晶を置いてみたんです。置いたときに、空間が変わったのがみんなわかると言っていました。黙っているから見えていないんですけど(目をつぶっている状態だから)、途中から空気が変わったのがわかるんです。それくらい変わりますよ。100人いて、100人の人がわかるわけではないけれど、大半の人が空気変わったのがわかります。

―― 水晶はどのように使うのですか?

八雲:埋めたり、置いたり、状況によって変えます。

(実際に水晶の写真をネット上で見ました。3㎝くらいの大きさからで、きれいでした)

―― 悩んだ時には、私だったら「ゴー」という感じですぐ行動に移すんですけど、うじうじと恐れながら悪い方へ悪い方へと考えて悩む人っていますよねぇ。何かが邪魔しているんですかねぇ。

八雲:邪魔していると僕は見ていない。その人の思考パターンがどっちなのかということです。

―― つい最近の八雲さんのブログで簡単にそのことに触れていましたよね。

八雲:3行で書いてます。

■幸せになりたいのなら・・・

幸せに生きている人は、何気ない日常から幸せを見つけるのが上手な人です。

不幸せに生きている人は、何気ない日常から不幸せを見つけるのが上手な人です。

どちらの人生を選択しますか?

―― 分かりやすいなあと思ったんですけど、逆に悩み深い人にはかえってそれが理解できないこともあるのでしょうか。

八雲:わかんないですね。きっと。

―― 結界を、自分で作るということは可能なんでしょうか。

八雲:水晶を自分で買って置いてもいいです。

―― それだけで、場が変わるんですね!!

八雲:変わります。 僕の場合は、結界なら結界用の水晶を買ってきて、ちゃんと結界用にチューニングしてから置くようにしてます。そこまでやるともっと強くなりますが、そこまでやらなくても、水晶を買ってきて四隅に置くだけでも変わります。

―― プラスのイメージに転換するものって、いろいろあるわけですよね。

八雲:いっぱいあります。
結界に関しては、まだ計画中なんだけどセミナーもやろうと思っています。結界は結界だけで半日くらいしゃべる内容がありますから。
ケースバイケースでいろんなやり方があるんです。水晶を置くのもあるし、水を撒くというのもあるし、いろんなやり方があるんで。

―― 先日、九頭龍神社に行った時も、社殿の周りにお塩を撒いている人がいましたが、八雲さんは「こんなこと、やらなくてもいいのに」とおっしゃっていましたよね。

八雲:基本的に神社の境内は結界になってるんです。塩を撒くというのは結界の中で結界を作ってる状態なんですが、さらに強力な結界を張っているのならいいのですが、たかだか塩を撒いているというくらいでは、単にそれは土地を汚してるだけだと思います。

―― する必要がないというところにやっているという感じですね。誰がやってるんですかねぇ。

八雲:撒いている本人の自己満足だけですね。半端に知っている人たちがやるんです。エネルギーのわかる人だったらやっても変わらないというのがわかりますから。

■■「箱根神社」と「九頭龍神社新宮」の“気”の違い

―― 先日の九頭龍神社のワークショップで、九頭龍神社の後に、箱根神社と九頭龍神社新宮に行きましたよね。となり同士に箱根神社と九頭龍神社新宮が並んで建っていましたが、ライン一本で、気の感じがまったく違いましたよね。
私はそのときに、箱根神社の、どちらかというとどっしりした重厚な気の感じが好きだなあと思ったんですね。それで九頭龍神社新宮に足を踏み入れると、こちらはとても軽やかな感じの気なんですね。それは即わかったんですが、好みとしてはどっしりした感じの方が好きというのがありましたがよく考えるとこちらの軽やかなものも必要なのではないかと考えたんですが。生きて行く上では両方大事なんですか?中庸にしていくのとは違うんですよね。

八雲:どちらも大事なんです。起きてるのも大事だけど、寝てるのも大事といえばわかかりやすいです。そう考えた方がいいですよ。ずっと起きっ放しだったら人間やってられないですよ。ずっと寝っ放しだったら、なんで人間生きているのか訳わからなくなりますし。

―― 慣らして行くという感じではなくて、どちらも大事という感じでいいのですね。それぞれを大事に味わえばいいんですね。
あそこはとてもびっくりしましたが。

八雲:面白いでしょう、あそこは。面白いんだけども、あえてホームページには書いていないんです。みんながあそこでウロウロされると大変ですから(笑)。

―― 感じない人も感じたような気分になるということもありますよね(笑)。
それと、湖からず~っと気が上がってきますでしょ。普通はその上の駐車場のところから参道に上がりますけど、その参道の途中から気が変わるのがはっきりわかりますよね。それはなぜなのでしょう。

八雲:基本的に、あそこは目の前に道が出来ちゃってるから。どこでもそうなんですけど、神社の中に道があるとそれがひとつの区切りになるんですよ。

―― 本来はつながっているはずなのに、という感じなのでしょうか。

八雲:もっとそれを広げていうと、たとえばいい土地があって、その真ん中に高速道路を造ると空気が変わっちゃうでしょ。それと同じです。道が出来るということは、それがひとつの境界線になるっていうことです。神社の中に変な道は造らない方がいいです。市川の方に神社の境内のど真ん中あたり、参道の手前のあたりに鉄道が通っているところがあるんです。

―― あそこ、行ったことがあります。変だなあと思ったことがありますが、そういうことだったのですね。

八雲:びっくりしちゃいました。あれっと思いました。土地のエネルギーとかを感じられない人は、通せばいいじゃんということになっちゃうんです。わかる人から見ると何でそんなことやっちゃったのとなります。
奈良に行くと平城京跡というだだっ広いところがあるんですけど、その中を電車が通っちゃってる(笑)。

―― ほぉ~~。建物でも、街づくりでもそういうものがどんどん増えていますよねぇ。建て方とか景観などもそうですが。最寄りに神社があるとかではなくても、全体を見ないで、自分のところさえよければいいみたいなものっていっぱいあって、決して心地よくないですよね。

八雲:大規模な再開発でもそんな感じです。
基本的に、日本の戦後の経済成長がお金とモノ中心で回ってきましたから。前は道徳教育とかもやっていましたが、最近は道徳教育とかもやらないで来た、その結果がこういうふうになってきてるんです。

■■結界からさらに進んで~~経済と環境の結びつき

―― まさにそうですよね。大事なものを壊しては変なものを造るという。壊しては造るという感じで来ましたから。しかもそれによって土地が上がるとか、建物が高く売れるとか、バブルはそんな感じでした。

八雲:経済中心の裏返しとしてそういう問題が起きてきました。これからはそれらをよくするしかないです。

―― 巨樹なんかもいとも簡単に切ったりしますよね。せめて切る時にひとりぐらいがこの樹を残そうじゃないかとかそんなことも考えない。命として考えたらすごい年月を生きてきているものなのに。協議した結果やむを得ずというのなら納得も出来ますが、そんなことも考えずにばっさりと。自分の命をあんなにばっさりと切られたらいやだなとかそんなことも考えなくて。ちょっと立ち止まって考えようよとか、ノーと言う人もいなくて。

八雲:やっと最近それが環境という名目で教育はされるようになってきたけれど。
それも経済とどうしても結びついちゃってるんですよ。

―― 八雲さんもおっしゃっていましたが、エコグッズなども環境と謳いながら金もうけのツールとしても販促されているものっていっぱいありますよね。お金もうけのためのエコ関連商品が目についてきましたね。

八雲:エコって、本来、金出して何かすることじゃないんですよ。エコを追及してたら経済になってたというのが本来なんです。経済でエコをやるからおかしくなるんです。
江戸の昔の街並みというのがゴミのない都市だったというのは有名な話です。つまりゴミを出したらゴミを持って行ってくれる人がいる、なぜ持って行くかというとそれで商売になるから。
商売するためにゴミ出してるんじゃなくて、ゴミを出したらそれが商売になったということです。循環してるんです。

―― そういう考え方とスピリチュアルな部分って密接に結びついていると思うんですが。
スピリチュアルな部分が特別なものと思っている人がまだまだ多いじゃないですか。そうじゃなくて、昔の道徳観だったり、先祖の知恵だったりということだと思うんですが。

八雲:人間と経済という括りにしてしまったからおかしいんです。そのふたつしかないような感覚だとおかしくなります。われわれ住んでいるのは地球なんで、地球のおかげなんです。それがわかっていれば自然破壊するのがおかしいということがわかるはずです。ところが、「地球を救う」って言っている人がいて、人間の方が偉いと思っている人がいるんですよ。地球を救うなんていう考え方には裏には人間が偉いという感覚があるんです。われわれが生きていられるのは「地球のおかげ」なんです。そこから始まれば、巨樹を切る、巨樹に限らず自然を破壊することがどういうことなのかというのが自然とわかるはずです。

―― 生きていくためのキーワードがこの辺りにありそうですね。
今までのお話とまったく違うんですけど、痛みについてお聞きします。

■■痛みについて

―― 痛い、痛みがあるときが人にはありますが、大きな傷をしたときには痛まないで、小さな傷のときは痛いとかよく聞きますが、その痛みと人の関係について何かお考えがありますか。痛みは意識とも聞きます。たとえば小さいお子さんが転んで体をぶつけたとしますね。ギャーッと泣いていても、お母さんが「痛いの痛いの飛んで行け!」と言ったりするとピタッと泣きやんだりしますね。子供ですからそれでもほんとに痛かったら泣き続けるはずなんですが。意識レベルが違うところに焦点が合うと痛みが消えたりするのでしょうか。

八雲:痛みって道具なんです。

―― 道具?

八雲:道具なんです。人間が生きて行く上での。変なものを食べたらお腹痛いし、壁にぶつけたら体が痛いし。痛みが無かったら、ぶつけまくって血だらけになってしまいます。だから、道具なんです。

―― 痛みのサインがあるということは、謙虚に受けとめる必要があるということですね。

八雲:大きな怪我した瞬間が痛くないというのは、そんな大きな痛みをもらってもそのときに役に立たないから。昔若いときに交通事故やったことがあるけど、交通事故やるとやった瞬間は痛くないけど、翌日めちゃくちゃ痛いんです。ある程度衝撃のレベルを超えちゃうと痛みを持ったとしても使いようがない。そんな場合は痛みが感じられないです。

―― 手術後の痛みなども、本人が納得した上で計画的に手術をした場合と、突然降って来た災難のときの緊急手術とでは、予後の痛みが全然違うと聞いたこともありますが。

八雲:術後の痛みというのは、術が悪いということはあります。術が悪いということを知らせるための痛みというのは結構あります。ただ、精神的にコントロールできる痛みは、非常に大きいです。

―― 精神的にコントロールできる痛みというのは?

八雲:山梨の方のお坊さんで、敵の軍隊が来て火をつけられてお坊さんが焼かれたという話があるんですが、そのお坊さんは非常に冷静な方で「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った言葉が残されていますから。
やっぱり、それはそれで確かにあるんですよ。人間は自分の精神的な強さによって痛みを感じなく出来るというのはありますね。仮りに痛みがあったとしてもそれに惑わされないというふうにすることはできます。だから、痛みは道具なんです。

―― なんで痛いのかということは、意識のなかできっちり捉えていく必要というのはあるんですかねぇ。

八雲:あくまでもそれはシグナルだから、シグナルの発している元は何なのかをきちんと対処すればいいんで。人間、長くやっていると対処できない痛みというのもあったりして、それはあくまでも対処できないということがわかっていけば、ある程度痛みが出るかもしれないけどそれはもうそれを受け入れていく。そうしているとそんなに痛みとしては出て来なくなるかもしれない。

―― 何かに気づいたらですね、たとえば原因があってそれがシグナルとして出ていたら、たとえば肩がすごく凝るとかそういう場合も、小さい時に受けた心の傷のようなものに気づいたらその時点で痛みから解放されるという話も聞いたことがあるのですが。それは自分では探れないで、誰か他者の力を借りてその気づきを探っていくということらしいのですが。

八雲:実際うちに来た人で、自分らしく生きようとすると頭痛が出るという人がいて、その人も過去生のときにいろいろあった人なんですが、エネルギー的な対処するとまったく出なくなっちゃったというのはあります。

―― それも、自分ではなくて、カウンセラーの方の手を借りてということですね。

八雲:はい。

■■ミューテーションについて

―― ミューテーションって、八雲さんのブログにも出てきましたが、あまり聞きなれない言葉ですよね。インターネットで検索しても八雲さんのブログが出てくるくらいで(笑)。かなり詳しく八雲さんのブログに書かれていますが、私もたぶんミューテーションではないかなという現象が起きたんですね。
例えば、どこも痛くないし、それなのに背骨がぐにゃっと曲ったようでしゃんとしないし、座っていられなくて、横になってしまうという感じでした。
食欲にすごい特徴がありました。食欲と満腹感は違うとよく言われますが、そのときは食欲というものがどこかに消え去ったような感じなんですね。無関心になるというか、どこも悪くないのに食べることを忘れたように食べるという行為が思い浮かばなくなるという感覚です。それもミューテーションの部類に入るんでしょうか。

八雲:基本的にミューテーション中は食べられなくなりますよ。身体の反応としても、食物を止めてくれという状態になるので。ただし、水は飲めるんですよ。食物は人によっては食べたくないというか、要らないという反応をしたり、全然関心がないというふうになったり、そういう感じになります。

―― ミューテーションって初めて聞いた言葉なんですが、たぶんこんなことではないかなというイメージでしか捉えられないんですが(笑)。

八雲:確かに他で言っている人はいないんで。ただ、古い話だと野口晴哉(のぐちはるちか)さんの「風邪の効用」みたいなかたちで書いている人はいます。ミューテーションという言葉は使っていないですが。
人間って、「物質的なボディ(身体)」である肉体と「エネルギーのボディ」があって、そこが同じようにバランスがとれているときがいいんです。エネルギーの方だけがガンと上がっちゃうと肉体との間にギャップがあるんで、そのあいだ肉体が追い付くまで時間が必要なんです。このあいだの状態をミューテーションというんです。

―― ああ、それってすごくわかりやすいです。

八雲:そうすると、肉体の方をどんどん変えていかないといけないんで、そのときはどうも食欲が落ちるみたいな、あんまり詳しく肉体的レベルまでわかっている訳ではないですが。

―― 私の場合は結果として断食、一日断食をしたような気分だったんですけど。

八雲:そんな感じです。

―― 意識してさあやるぞじゃなくて、自然に断食が出来たという感じでした。すると次の日はほんとにすっきりして、昨日まではパソコンの前に座りたくない、じゃあどこか痛いのかというとそうではなくてただフニャフニャと力が入らないという不思議な感じでしたが。

八雲:エネルギー側のボディと肉体ではどちらが変化しやすいかというとエネルギー側なんです。たいていエネルギー側の方が先に上がります。肉体は時間がかかるんで、そのあいだなんですよ。

―― 肉体が、エネルギー状態に追い付くまでにギャップがあって、それを追いつかせる時間というか期間というか、その時間のことをミューテーションという捉え方でいいんですね。

八雲:ミューテーションは、たぶん色々な人が色々経験しているはずなんですよ。ただそれに関してはみんな風邪かなと思ったり、疲れかなと思ったり、原因不明の体調不良とかで片付けてしまうという、そういうパターンでなっています。

―― そのときは、たとえば栄養剤を入れても効果がないと。

八雲:受け付けないですから。水分はOKですから結果的には断食状態ということになります。

―― 気圧の変化というのは身体に与える影響というか、何かあるんでしょうか。

八雲:気圧もゆっくり変わるとそうでもないんですけど、急に変わると影響を感じます。僕も気圧が急に下がるときは足が痛いんですよ。痛いんだけどそのうち治るからと放っといていますけど(笑)。

―― 気でお腹がいっぱいになるという、ミューテーションの期間のような感じの経験があります。以前小豆島に旅行した時に、初日あちこち回って旅館に着いたとき、まったくご飯が食べられなくなりました。そこは料理旅館で目の前にすごいごちそうが並んでいて、大好きな海の幸のお料理が並んでいるのに、そのときはポットにあるさ湯しか入らなかったという経験が一度だけあります。そのときもその場所に行って何か変化が起きたんでしょうか。

八雲:場所にもよるんですが……。場所のせいかもしれないです。
場所のせいと言った場合「今」を中心にして「過去」ということもあるんです。過去生の記憶に絡んでいるとなぜかそれが出来ないとか、そういうことは出ますよね。そこら辺は詳しくセッションしてみないとわからないですが。

―― そのときの記憶というのは、忘れられない記憶なのですが。デジャヴュというのもお聞きしたいなと思っていますが。

■■時間が飛ぶ?

―― えっ、まだ10分位しか経っていないような感じなのにもう55分も過ぎたんですか!!信じられない!!どうしてなのでしょう???
こういうときって時々ありますよね。そういうときってテンションがいいときなんでしょうか?

八雲:どうなんでしょうねぇ。僕自身も約1か月くらいの間でだいぶ変わっているというのはあります。

―― ここに大きなパイプがあって、いい気分ですう~っと流れているという感じなんですが。八雲さんに会って時間軸が変わって来たのでしょうか(笑)

八雲:僕自身のつながり方が違ってきたのは事実です。前はつないでたんですね、いちいち。(図を書きながら、天と地の間にいる自分とその関係性を説明。天と地と自分をいちいちつないでいたという感じを受けました)
今はどうなっているかというと、つながりっ放しなんですよ。(天からも地からも身体がそれらとつながりっ放し)。

―― 1回1回つないでいたものがつながりっ放しということなんですね!凄い!!

八雲:これが草津に行っている最中に起きているんです。

―― ほぉ~~!!!

八雲:まだ慣れていないんですけど、そんな感じです。

―― すっごい不思議な感じです。今までお話ししてきた時間が10分も経っていない感じです。今まで55分も話したなんて信じられない。でも、ちゃんと会話していますよねぇ(笑)。

八雲:会話はしています(笑)。

<<あと、30分位だったら、大丈夫ですよ>>ということで時間延長が決まりました>>

■■デジャヴュと過去生

―― デジャヴュと、それに関連して過去生とそれがつながっているということはあるのですか。八雲さんのブログを読んで、ミューテーションということを知り、小豆島で食べられなかったのはミューテーションだったのかなと思ったりしています。そこの気場に自分が付いていけなかったのかなと。その時は冬至の日で「幻の冬至観音」を観に行った日でしたから。
それで、お話ししながらデジャヴュということを思いついたのですが。

八雲:たしかこれはフランス語だったと思うんですが。

―― デジャヴュと言われ出したのはいつ頃からなんですかねぇ。シャーリー・マクレーンの「アウトオンアリム」がベストセラーになったあたりからでしょうか。既視感と言われると納得がいくんですが、よくここに来たような気がするとか、そんな感じの捉え方でいいのでしょうか。

―― そういうのでは、デジャヴュとは言わないです。来たことがあるような気がするというレベルじゃないです。僕も今はあんまりないですけど中学生から社会人になったころによくあったんです。ある風景をどこかに行った時に見て、昔のある記憶とバシッと合うんです。スライド2枚を合わせるみたいに。

―― ぴったり?

八雲:ぴったりとです。「あ、これ知ってる」という感覚で、デジャヴュというのはそれくらい合致するものです。

―― では、何となくイメージが似ているというのは違うんですね。

八雲:それはデジャヴュではないです。ほんとにスライド2枚をピタッと合わせるような感じです。だからその瞬間に「あっ!!」という感じになりますよ。
何となくここに来たかなというのではなくて、「あっ!!」という感じです。

―― 完全に知っているという感じですか。それって過去にそこに住んでたということでしょうか?

八雲:とは限らないです。新しいところに行っても起きることがある。自分がまったく初めてのところに行って起きることもあるし。

―― 過去生で、ここに居たんだということとは違うんですか。

八雲:今視ている風景がスライドでパチッと合うわけですよ、建物も含めて。過去生だったらそんな建物がないですよ。

―― あっ、そうですよね。

八雲:過去生じゃないですよ。“今”があってそれから未来に向けて動く時に基本的な方向性はあるんで……過去生ではないです。よくあるのが寝ているときにこの風景を見ていて、起きてから時間が経ってそれがバンと当たっちゃうという、それがスライド2枚合わせるという表現になります。
で、もうひとつは、過去生で“知ってる”という、たとえば大自然がまったく同じような状態である場合はピタッとやはり出てきます。たぶん寝ている間に未来を見て行くという。

―― 寝ている間に未来を見ているということですか。それはけっこう普通の人にもあるんでしょうか。

八雲:普通の人にもあるけれど、何か気のせいかなぁと思ったり忘れてしまったり。デジャヴュの瞬間はドキッとするくらいぴったり合います。
たとえば、僕なんか田舎で会社員として仕事していたときにデジャヴュがあったりすると、手が止まっちゃいますよ、ドキッとして。それくらいピタッとくるんです。

―― そういう現象というのは、何かの予兆とかでもあるんでしょうか?

八雲:人によって出方が違うみたいで、だから未来予測的なものとして見えてくる人もいれば、僕らみたいなことをやる人の場合は、実はそういうものもあるんだから覚えとけよみたいな。そういうシグナルの場合もあります。これも一概には言えないです。それがあるからどうだということにはならないです。そういう能力を持っているのに意外と使っていない人に、向こうの方から出てくることでそういう力があるんだということを知らせ、ちょっとはその部分をトレーニングしろよ、みたいな。
予知能力とは限らないです。要するに霊的な力があることを教えるためにやっているような気がする。

―― お話では“見せてる”という感じですよね。今ここに在って違うものと合うわけですからね。ふたつのものを物理的に合わせるわけではないですから時空を超えていることは確かですね。

八雲:デジャヴュが起きる人というのは、意外に感性が強い人が多いですよ。
クライアントさんで、何回か来ている人で「デジャヴュがあるんですけど」と言ってくる人がいるんですけど、その人がこの道のプロになるかどうかは別問題だけれど感性強い人は多いですよ。そういうシグナルなんだと、ましてやそれを自分で納得せざるを得ないレベルで起きるんです。

―― 納得せざるを得ないというのは、かなりはっきりと、ブレがなくという感じですか。

八雲:ほんとに一枚のスライドを二枚にしてもう一回戻すみたいな感じです。

―― ほおぅ~~。へぇ~~。はい。それは凄いですね。

八雲:まあ、それくらいのものが来ると、自分って何かの能力を持っているんだなあということを納得せざるを得ないです。過去生でいうと、たとえばその土地に住んでると、なんか居たような感じがするという感じがあることもあります。

―― それは、ぼんやりという感じでいいんですか。それともかなり明確ですか?

八雲:たとえば僕が島根に行ったときなんかは、やっぱり過去生で島根に居たんで、島根というより出雲といった方がいいですが。「あっ、この道知ってる」っていう感じです。
今はないけどそこに何が在ったという感覚がわかるんですよ。馬に乗ってたときのその揺れもわかります。ほんとのデジャビューってそれくらいリアルなんです。居たかも……じゃなくて居たという。今の風景は建物が多いけど昔はこうだという。この向こうに川があって……とかそんな感じになります。

―― すると、一言でいうと、デジャビューというのは、既視感とか、既知感なのですが、そういうスピリチュアルな関係としてあえてとらえると、予知に当たりますか?

八雲:とは限らないです。予知とは限らないというのは、ある瞬間、瞬間のスライドがあったとしてそれを全部一枚を並べて行くと、この中にいて観てるんではなく、外から観てるというのがわかります。それで1回視てきているということになります。これは過去も同じなんです。厳密にいうとわれわれが住んでいるのは4次元空間で、3次元の物質の大きさプラス時間ということになります。それは4次元空間なんだけれども時間軸だけに関して言うと一定方向しか動けないということがあるんです。それがもうひとつ上の次元に行くと時間を外から眺めることができるという感覚になります。それでキュッと視て行く。
(図を描きながら、説明が入ります)

―― 瞬間にですね。

八雲:それは、目の前のスライドが浮いてるだけなんですよ。だから予知ではなくて、次元が違えば昔も未来も視れるということになります。ただし未来というのは可能性がまだ広いから、何枚もあるんで、必ずしも完璧に視えるわけではないです。うまくそれを採って来るとまさにスライド2枚を合わせるという感じになります。パチンと合うんです。

―― 何となくという感覚で捉えていましたが。

八雲:ここに居るんだという3次元、4次元空間の中に居るんだと思っていると、未来予知のような感覚だったりすることもあるし、それがひとつ上の次元だと思えばスライドを1枚1枚視ているというだけです。過去生リーディングをやっているときってこれなんですよ。

■■過去生リーディングは次の人生のためにも

―― そうすると、過去生リーディングでどんなことをやるのかというのもすごい理解しやすくなりますね。

八雲:未来は分岐が多いんで、いくつもの選択肢が用意されていますから。だから未来を当てるというのは100㌫は難しいです。ただ一定の流れで行くとここに行くよということはわりに言えるんです。それを知ることで当事者は意識が変わりますから、未来も変わるということです。

―― 知れば、当然変わりますよね!意識が。過去生リーディングをやる人というのは若い人が多いんですか?

八雲:やるのに年齢は関係ないです。自分の意識が上の次元に行けるかどうかの問題なので。

―― 残された時間軸がどれくらいあるかとかではなくて?

八雲:ひとつの人生だけではなく(未来には)選択肢がいくつもあるんで、若いとか齢とってるとかは何の関係もないです。読まれる側にしてみれば老い先短いという考えに陥りやすいですが次の人生があるわけで(笑)。どういう状態で次の人生に行くかということですから。
読む側にしても、若いか齢とっているかは全然関係ないです。こっちも人生いっぱいあるから。「老い先短いから何やってもいいんだ」というと来生が難しくなります(笑)。

―― それは、まあそうですね(笑)

八雲:だから、来生につながる生き方が大事なんです。例えば60歳になって大学に行く人とかいるじゃないですか。それはいいことなんですよあくまで肉体が60歳であって、精神までが60になっては駄目なんです。見た目でわかりやすい例を挙げると由美かおるさんなんて1950年生まれですよ。そんなふうに見えないでしょう?自分がいかに気持ちも含めて若いかどうかです。

―― そうですね。そういう部分でもチャンスがあったら過去生リーディングをやってみるのもいいですね(笑)。トータルで視ることも関心があればやった方がいいですね。

八雲:あればの話ですね。あくまでも今の人生に集中している人もいるんで、その人の場合は余計なことを聞かない方が集中できるんです。モノを書くのにホテルに缶詰めになっている人っているじゃないですか。それと同じで何かに集中しながら人生そのものが缶詰で生きたいという人もいますから。

―― そういうときは、過去生を視たりしない方がいいということですね。

八雲:そうです。われわれが住んでいるのは三次元ではないんですね。われわれが住んでいるのは。三次元だとモノの高さだとか幅だとか奥行きだとかだけで動くに動けないんです、“時間”がないから。正確にいうと住んでいるのは4次元なんだけど、時間軸というのが一定方向にしか進めないという捉え方がいいと思います。セミナーでは制限付き4次元とか言っていますが。ただ、ガイドと話をすると不思議なんですが3次元と言ってくるんです。厳密に言えば制限の付いている4次元空間なのだけど、ガイド側からはなぜか3次元ということがよくありますよ。

■■臨死体験をした人の話しから

―― 臨死体験をした人の話を聞いたことがありますが、オーロラツアーの主宰者でカナダまでの飛行機のあいだ中、隣りの席だったものですからずっとその人の話を聞きながら行ったんですね。彼は死後の世界は二次元空間なので、面白くもなんともないから、大変な苦労を抱えてもこの3次元の世界で精いっぱい生きることがどんなに楽しいかがわかるみたいなことを講演でも話されているんですが、私はどうしてもストンとその話が落ちなくて。

八雲:臨死の場合はほんとの死かどうかというのがありますね。

―― これだけ聞いても納得がいかないという感じが私の中ではありまして、もしかしたらほんとの体験者ではないのかなということもありましたし。

八雲:体験していることをうまく説明できない、ボキャブラリーの不足というのもあるかも知れませんね。説明できるバックボーンがあるかどうかということもあります。たとえば次元空間にしても、4次元、5次元、6次元があったときに、ボキャブラリーの問題などもあります。ヒーリングをやるときなど、宇宙の根源のエネルギーを使います。そうすると、「宇宙の根源ってなんですか?」と訊く人がいます。「宇宙の根源のエネルギーを使います」というヒーラーは何人かいるんですよ。ところがいくら読んでも宇宙の根源が何だか書いていないんですね。僕はちゃんとセミナーで説明しますが。そこら辺の違いだったりする場合があるかも知れません。
宇宙の根源というのは闇のエネルギーなんですよ。

■■宇宙の根源のエネルギーは、闇のエネルギー

―― 闇のエネルギー?

八雲:闇っていうと、「大丈夫ですか?」と言われることがありますが(笑)。なんで闇かというと、光が生まれる前のエネルギーだからです。今でいう普通の光と闇を生み出す元のエネルギーということです。

―― では、大元ということに?

八雲:それを科学的にちゃんと説明できます。一般理論がありますから。そういうボキャブラリーのある人が「宇宙の根源の闇のエネルギー」と言っている場合と、言葉だけをどこかから仕入れてきたものを言っている人では伝わり方が違うと思います。

―― 聞き手は何もわからないわけですから、そこら辺のベースがあるかどうかで伝わり方が違ってきますよね。どこか琴線に触れない限り言葉尻だけでは動けないものってありますよね。

八雲:臨死に関しても、そういう知識のある人が臨死をやっている場合と、知識のない人が臨死をやっている場合は、伝え方に当然差が出てきます。ただ見たモノを言ってる場合もあるし。

―― それに近いですね。その臨死体験を元にスピリチュアルな部分に行こうとしているのは伝わるのですが。

八雲:立花隆さんが臨死体験の本を書いていますが、臨死をつまらなかったという人もいますから臨死と言ってもいろいろあるんです。現世にフォーカスしている人が臨死すると、向こうの世界はつまんないといいますし、今の世界の方がいいということになりますから、そこら辺は幅がないとうまく説明しきれないです。
最初の土地を視るリーディングの話も、現場に行って「ここは呪われている」という人と、土地と建物と人がいて、という区分で話をするのとはだいぶ違いますから。

―― 土地を視て、建物を視て、人を視て、というお話しは初めてお聞きしました。そして人に原因というか要因がある場合が多いというお話もひじょうに納得がいきました。

八雲:実際そうですからねぇ。要は説明できるか、同じ体験をしても人によって説明の仕方が違ってきたりしますから。

―― はい、わかりました。あっという間の時間でしたが、長時間にわたりありがとうございました。

八雲:ありがとうございました。

コメント

  1. すずめ より:

    こんにちは。
    色々興味深く拝見しました。「闇のエネルギー」については、少年マガジンの漫画でも取り上げられていたように思います。私はどちらかというと光と闇の中間くらいをふわふわする感じが、自分の中に原景としてありましたが、それも今なお相伴っているものなのか、どうなのかよくわからないという状態です。
    先日誕生日を迎え、だんだんオッサンになってきて、スピリチュアルな感受性も鈍ってきました。瑞々しい、本物の体験と出会っていくことがスピリチュアルにとって、大切なことのように思います。人生において、スピ頃合いの良い時期がきっとあって、そういう時に貪欲に色々なことを吸収した方がいいですね。
    スピリチュアルの世界には、毎日のように刺激の強い話題を提供して、読者を飽きさせないサイトとかもあるのですが、本質的にスピリチュアルな方向性であれば、エサもつけずに釣りをしているようなもののはずで、基本的には日々これといったこともなく過ぎていくと思います。何を言いたいのかよくわからなくなってきましたが……。
    かしこ。

  2. 八雲 より:

    すずめ さん
    「闇のエネルギー」という表現をすると、あまり良い印象を受けないですが、「宇宙の根源のエネルギー」とか「宇宙の始原のエネルギー」という表現をすると分かりやすくなると思います。
    年齢を重ねると、感受性が鈍るというのは、思い込みですよ。優れた先人は何歳になってもみずみずしい感性を持っています。確かに、毎日のように刺激の強い話題を提供するサイトというのは、注意した方が良いですね。スピも本質的であれば、「日々これ好日」といった感じになります。

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