先日の記事で、科学とは何かの基本的なことを述べていますが、一般に言われている「科学的」であるとはどういう事なのかというと、「科学的な方法」で検証されているものであるかどうかということになります。
「科学的な方法」というのは、一般的に以下の方法で検証されているものを指すことが多くみられます。
(1)測定性 対象は何らかの方法で測定できること
(2)定量性 測定した結果は、数字で表すことができること
(3)再現性 第三者が行っても同じことが起きること
(4)整合性 対象を論理づけするときに、その論理に整合性があるかこと
ここで、定量性と再現性がポイントになるのですが、これを「客観性」という表現をすることがあります。
一方で、この二つができない対象の、人の心の移り変わりや、芸術などの「主観的」な世界は、定量性や再現性がないものが多く、そのために「科学的な方法」になじまず、科学の対象ではない、とされてしまう傾向があります。
そもそも、「科学」は対象を理解しようとするものなので、主観的な世界も本来は含まれるのですが、「科学的な方法」では、客観性を非常に重視するため、このような制限が生まれてきてしまいます。
それゆえに、世の中の現象が三つに区分されます。
(1)「科学的な方法」で測定できる対象 → 科学的対象
(2)「科学的な方法」で測定できない対象 → 非科学的対象
(3) まだ知られてない対象(未知の世界、未知の理論) → 未科学的対象
スピリチュアルな世界では、人の心を扱いますし、主観がポイントになるので、「科学的な方法」の対象としては馴染みにくい領域になります。
「現代の科学」では、客観性を重視しているので、上記の「非科学的対象」については、「本来の意味の科学的な態度」ではなく、「科学的な方法」を重視するあまり、対象として排除されてしまったり、最初から無視されたり、してしまうところがあります。
本来の科学的な態度に立ち戻るなら、主観的な世界も科学の対象なのですが、現代の科学では、まだその領域を取り扱うには科学そのものが充分発達していないと言うことができると思います。
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