お勧めの書籍を紹介していますが、今回は例外です。
なぜかというと、上記の書籍には、私の提唱する(新)東京五社の案内記事が冒頭にあるのですが、その記事の情報源がどこであるかは書かれていません。
しかし、そのページの内容をよく読んでみると、私の昔のブログの記事をそのまま流用していることは明白です。
その場合、うちのブログを参考にしたと書籍中に書いてるならば、引用という範囲になるので、特に問題視はしないのですが、この書籍の場合、五社の位置関係の図とか、東京大神宮から巡るのがいい、など書籍に書かれている内容を見ると、私の昔のブログ記事をそのまま流用していることは明らかで、しかも情報源がどこなのかは書かれていません。
ただ、この場合、東京五社として紹介している私の記事が、著作権上の権利になるのかというと、微妙なところがあります。というのも、五社の選定とその巡り方においては、著作権の対象になるのかどうかは、現時点ではグレーゾーンになります。
ということで、私が気にしているのは、書籍を作成したときの、「情報源に対する敬意」があるのかどうか、ということです。
私の場合、(新)東京五社についても、単に地図上で見つけたということではなく、実際に各社を巡って、さらに結界を張ってみた結果として、みなさんにおすすめできるということで紹介しているので、紹介に至るまでの間に、労力や調査といったことが存在しています。
上記の書籍では、私の情報に限らず、他の記事を見ても、そういった「情報源に対する敬意」がなく、単に情報をコピーしているだけというのが、私の印象です。
この点については、いずれ出版社に問い合わせしたいと思っています。
こういった事柄に対しては、情報というのはシェア(共有)することが大事であるということが言われることがあります。それについては、私も同感です。
ただ、その情報をシェアするときに、その情報がいかにも「私が見つけた」というスタンスで語るのではなく、情報を「見つけた・あるいは創造した人に敬意を払う」ことが大切であると考えています。
というのも、我々の現在の生活を支えている、科学的な成果や、文化的な成果というのは、過去にそれらを創造・発見した人たちの上に成り立っています。
なので、その成果を使うという時に、過去にそれらを創造・発見した人たちに、自分ができる範囲で敬意を払うのは、情報を使うという立場において重要であると思っています。
そのため、私のブログの記事では、ある情報について書くときに、その情報源が自分のものではなく、誰かが創造・作成したものである場合は、どこの誰であるのかについては、出来る限り表記をするように努めています。
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