前の記事で科学的ということを書いていますが、ではスピリチュアル的とはどうなのかということも書いておきます。
「スピリチュアル的な方法」は、心理学や精神分析などとも共通なところがあるので、ここでは「心(こころ)的な方法」という表現を使います。
「心的な方法」といったとき、基本的な事柄として、
「”自分が体験した”、ということは事実である」
という考え方になります。
”自分が体験した”という事象が、客観的に存在しているのかどうかではなく、”自分が体験した”という「心の事実」が出発点になります。
たとえば、夢を見たとき、これが客観的に存在するのかどうかを確かめるため、夢そのものを測定しようとしたとき、夢を見ているときの脳や身体の状態を測定することはできても、夢そのものの映像や心が受けた印象を測定することは現代の科学や技術ではできません。夢はあくまでも本人の「心の事実」であるということになります。本人の「心の事実」でしかないものは「科学的な方法」の対象にはなりません。
つまり、「心的な方法」と「科学的な方法」では、出発点が異なるわけです。
そのため、「心の事実」を「科学的な方法」で厳密にとらえることはできません。時として、“事実がどうであろうと、私にはそう感じた”という言い方をする場合がありますがまさにこれが「心の事実」であるということです。
「心の事実」を「心的な方法」では、“心がそう受け止めたのは事実である”ということから始めることになり、その次にその事象が存在するのかどうかを判断するという順番になります。
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