東国三社と鹿島アントラース

東国三社について、さらに調べているところですが、新たな発見として「鹿島アントラーズ」があります。
ラインを調べて行くと、「鹿島アントラーズが強いのは当然」ということになります。
とても良い場にスタジアムがあるので、負けるとしたら、それは人間側(対 場 の比較として)がやるべきことをやっていない証拠であると、言い切ってもおかしくないくらいです。

以下の図は、調べ物をしている途中なので、意味のないポイントや線も含まれています(後で整理した図を掲載します)が、レイラインに興味があり、鹿島神宮の歴史に詳しい人であれば、この図だけでもある程度分かると思います。

Kss

沼尾神社、坂戸神社は鹿島神宮の元宮とされる神社で、明石鳥居は、ここから鹿島の(当時の記述では、香島)の神が天下ってきたといわれる場所です。
そして、スタジアムは、鹿島神宮の奥宮に向いた方位を持っています。

コメント

  1. 秋月 より:

    アントラーズは年末に鹿島神宮にて一年の報告とお礼参りをいたしますが、とても盛り上がり楽しい雰囲気に溢れています
    神宮の奥宮の方の売店の甘酒もこんな寒い季節にはよいです。
    鹿島スタジアムは海が近いから風が強いです。
    地域の商店が沢山の出店をだしていて汁物、焼き物おいしいです。

  2. AK より:

    東国三社の結は「日川」から移した息栖神社の遷移が深いですね。
    阿蘇富士ラインを外した、いや通したと言うのが意図だろうと捉えています。

  3. 八雲 より:

    秋月さん
    オフィシャルサイトを探しても、それらしい記事というとこのあたりしかないのですが、
    http://www.so-net.ne.jp/antlers/news/detail/20071215_19_1045.html
    メンバーにならないと、詳しくは見られないのでしょうか?
    AKさん
    息栖神社の遷移は確かに興味深いですね。
    遷移することで、トライアングルを形成したということになるのでしょうか?

  4. AK より:

    三点を結んでみると判りますが、元宮の日川では正三角形の結、遷移後は直角三角形の結です。
    遷移は色々背景がある藤原氏の命で807年に行われ、遷移後は掛かっていた阿蘇-富士ラインがキレイに素通りしています。
    富士周辺では坂上田村麿遠征の結果、800年一桁年代に浅間神社の造営が相次ぎ、807年で完了しています。
    この状況から見て、富士の「掌握」が済んだ後に改めてそれを踏まえた結を結んだのだと解釈しています。
    この地域、日川もそうですが、神栖という地名や神之池、なお三角の中にある物が興味深いです。
    ちなみに鹿島香取の辺を延長すると、かの小桜神社がある諸磯神明社に届きます。
    この辺は人知ではなく神の経綸ですね。

  5. AK より:

    補足しますと息栖の元宮は今の所、日川一番、石塚の地名がある日川稲荷神社に比定しています(個人的推定です)。
    また神栖第三中の南の丘状地は興味深いです。土師氏系のポイント風。
    ここと坂戸-香取がより正確な正三角形を結び、今の7倍あった古神之池すら覆うことからも、埋もれている場や元地である可能性がありそうです。
    そして、鹿島本宮元宮のいわれがある大生神社と香取-日川は直角三角形の結です。
    大生神社806年に藤原氏造営。807年鹿島へ遷座。
    東国三社の遷移暦には東国支配古族の「実体」の移り変わりと日本の真の歴史が深く関わっているようです。
    表層の改竄は出来てもラインは嘘を付かないと。場の歴史は「掌握と変遷の歴史」の側面も持っているのですね。

  6. AK より:

    ここと坂戸-香取がより正確な正三角形を結び、
    ありゃ、「ここと沼尾-香取」の間違いです。
    ちなみに第三中周辺は「うずも」の地名があります。旧字かな。
    九頭龍さんで八龍さんの流れなんでしょうね。

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