都が京都にあると、富士山が噴火する

都(みやこ)の場所と噴火の回数の関係は、

奈良  1回
京都 14回
江戸  1回

と、都が京都にあった平安時代と室町時代の噴火回数が圧倒的に多いということに驚きます。

平安時代というと、雅(みやび)なイメージがありますが、都からはなれた東国では、富士山の噴火時代になります。

そして、平安時代において、源氏が台頭してくる1083年を最後に、しばらく噴火は収まります。そして、その次に噴火するのが、京都室町に都を置いた、室町時代。

(1)時代順のデータ
静岡大学の小山教授の富士山歴史噴火のページから、時代別にデータを並べ替えてみます。780年以前の噴火については、正確な史料がないので、ここには含まれていません。
●:信頼性の高い史料に記述された噴火
○:信頼性の劣る史料に記述された噴火

奈良時代(710~794)
781年(天応)●

平安時代(794~1185)
800~802年(延暦)●
826年または827年(天長)○
864~866年(貞観)●
870年(貞観)○
937年(承平)●
952年(天暦)○
993年(正暦)○
999年(長保)●
1017年(寛仁)○
1033年(長元)●
1083年(永保)●

鎌倉時代(1185~1333)
(噴火の記録なし)

室町時代(1336~1573)
1427年(応永)○
1435年または1436年(永享)●
1511年(永正)●

安土桃山時代(1573~1603)
(噴火の記録なし)

江戸時代(1603~1868)
1707年(宝永)●

(2)これらを図表にしたもの

静岡大学 > 小山真人研究室 > 富士山の歴史時代の噴火史年表(リンク

(3)出雲大社の倒壊

富士山とは打って変わって、京都より西に位置する出雲国の出雲大社も平安時代に5回も倒壊しています。

出雲大社は、かつて現在の二倍の高さ(48m)であったと伝えられていましたが、2000年に宇豆柱が発掘され、当時としては異例の高層建築であったことが証明されています。

季刊大林 古代・出雲大社本殿の復元(リンク

出雲大社の造営そのものは平安期より以前に行われていると推定されていますが、信頼性の高い史料としては、平安時代以降になるため平安時代からの掲載。

平安時代(794~1185)
987年 正殿造営遷宮
1031年 <倒壊> 風なくして傾倒する。また前々より傾倒例ある由(左経記)
1036年 正殿造営遷宮
1061年 <倒壊> 舞殿を修理し、仮殿とする
1067年 正殿造営遷宮
1108年 <倒壊> 梁柱傾き傾倒
1115年 正殿造営遷宮
1141年 <倒壊> 竃殿を修理し奉還
1145年 正殿造営遷宮
1172年 <倒壊> 仮殿を修める

鎌倉時代(1185~1333)
1190年頃 正殿造営遷宮
1235年 <倒壊> 急ぎ仮殿を修め神体を安ずる
1248年 正殿造営遷宮 それまでの半分の大きさとなり、これ以降の倒壊はない

(4)なぜ京都に都を置くと富士山の噴火と、出雲大社の倒壊が多いのか?

京都に都を置くこと、富士山の噴火、出雲大社の倒壊は、遠く離れた地点での出来事なので、それらが結びつくとは思えないのですが、レイラインを調べて行くと、「御来光の道」と「近畿の五芒星」がそれらを結び付けています。

以下は、それらをわかりやすい図にしたものです(クリックで拡大表示します)。

leyline

御来光の道の距離を五芒星の中心ライン(グレーの縦のライン)から測ると、出雲大社までが約280Km、富士山までが約266Kmと、比率で1:0.95なので、ほぼ中心と言っても良い位置に五芒星があります。

五芒星が上下さかさまのように思えますが、当時の地図では、京都御所に座る天皇の視点から見た地図、すなわち南北が現在とは逆転していた地図も多くあり、天皇の視点から見れば、五芒星は正位置となります。

シンクロニシティという言葉がありますが、一見すると関係のない出来事であっても、同時期に発生する出来事は、因果律では説明ができない関係性が存在するということが知られています。レイラインの場合は、相互にラインで結ばれているため、それが強く出てくることになります。

五芒星の基部交点にある京都の情勢に変化があると、その変化が五芒星の各ラインに伝わることで、五芒星が揺らされ、結果的に五芒星とラインで結ばれた両端に位置する、富士山と出雲大社は、それが拡大される形で揺らされることになるので、大きな影響が出てくることになります。

一方で、奈良は五芒星の中心に位置するので、情勢の変化があっても、五芒星の各ラインがそれほど変動することにはなりません。

また、鎌倉時代や安土桃山時代など、この構造を持たない場所に都がある場合は、そういった影響が出てこないことになりまます。

そのため、都が江戸、東京の場合は、都の情勢による変化による影響も非常に限定的になり、富士山の噴火が起きにくい状態になります。

(出典)

・富士山噴火データ
静岡大学教育学部総合科学教室 小山真人
富士山歴史噴火総解説(第2版,2007年3月)(リンク

・出雲大社倒壊データ
古代出雲大社の復元 増補版 (2000/06)
大林組プロジェクトチーム編
出版社:学生社
ISBN-10: 4311202369
ISBN-13: 978-4311202360

・御来光の道、近畿の五芒星
レイラインハンティング
http://www.ley-line.net/

コメント

  1. sumie より:

    おおっ、そうでしたか。
    すごく納得です。
    奈良京都や日本のレイラインについてはよく言われていますが、ここまで説得力のあるものはないですね。
    さすが八雲さんです。
    大変ためになりました。
    ありがとうございました。

  2. 八雲 より:

    sumie さん
    京都に都を置いた時の噴火の多さというのは、調べてみてびっくりしました。
    明らかに、何かあるということで、色々と調べて、書きあげるまでに、まるまる1日半掛かりました。