東国三社とは
千葉県東北部から茨城県東南部にかけて、「東国三社」と呼ばれる神宮二社、神社一社があります。 鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、香取神宮(千葉県香取市)、息栖神社(茨城県神栖市)。
特に鹿島、香取の二神宮については、創建時に神宮と呼ばれたのは、他には伊勢神宮のみであり、格式の高い神社であることがわかります。
これらの三社を参拝することを「東国三社参り」と呼ばれて、現在もおこなわれています。
東国三社について書かれているページは多いので、こちらのページでは、他のページでは書かれていないことを中心に作成しています。
東国三社と富士山
東国三社の鹿島神宮・香取神宮・息栖神社は建っている場所を結ぶと、ほぼ直角三角形になるというのはよく知られています。
鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の位置関係は、実際に計測してみると、ぴったり直角三角形ではなく、少し誤差があります。
この三社が実は、富士山を意識して建てられているということは、あまり知られていません。
(1)鹿島神宮
本殿は北面しています。神社の本殿は南面もしくは東面するのが基本なので、珍しいです。
本殿に参拝したとき、直角右手方向が富士山になります。
(2)香取神宮
鹿島神宮と対になるかのように、本殿が南面します。
そのため、本殿に参拝したとき、直角左手方向が富士山になります。
(3)息栖神社
そして、息栖神社は西面します。
西面する神社というのも珍しいのですが、本殿から見て正面方向がぴったり富士山になります。
富士山への方角が、息栖神社は正面に位置するのに対して、鹿島神宮と香取神宮では正面ではなく側面(90度)になりますが、諏訪大社本宮でも同じように神体山が側面に位置するように、側面90度というのはエネルギーを取り込むときによく使われる角度です。
代表的なのは出雲大社で、本殿は南面しますが、内陣は西面するという構造を持っています。また、鹿島神宮の内陣も側面を向いています。
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社を一社ごとに見ると、本殿の向いている方向がどういう意味になるのかわかりにくいですが、三社がセットになっていると考えるなら、赤線方向にある富士山のエネルギーを三社で取り込む構造になるのだと考えるなら、意味も通じてきます。
そして、鹿島神宮と富士山を結ぶ直線上には、江戸城天守閣があります。
(4)江戸城天守閣
こちらの図でみると、離れているように見えますが、鹿島神宮と富士山の間の距離は約185Kmなのに対して、江戸城でのずれは200m程度なので、比率では0.1%程度誤差でしかありません。
上図ではちょっとわかりにくいかもしれませんが、天守閣の建っていた土地の角度と赤い線が一致します。
また、香取神宮と富士山を結ぶ直線上には、徳川家と縁の深い増上寺があります。
(5)増上寺
こちらも、一見するとラインから離れているように見えますが、ずれは150m程度なので、やはりこちらも誤差の範囲です。また、東京タワーもライン上にあるのが大変興味深いです。
ラインと交差するのが、東京プリンスホテルですが、ここはかつて徳川家の霊廟があった場所です。
書籍「鹿島神宮」の著者で鹿島神宮の元宮司の東実氏によれば、かつて冬の晴天の日には、鹿島地方から富士山が見えたとのことですから、これは明らかに富士山を意識しています。
ただ、現代では、千葉~東京地方のスモッグのため、正月などの都心部の空気の綺麗な時でないと難しいと思います。
富士山から見たとき、東国三社の先の海から太陽が登ってくるのは、概ね5月の第一週の期間になり、鹿島神宮をはじめとして、香取神宮、息栖神社と約10日間にわたり、日の出レイラインを形成します。逆に、東国三社から見て、富士山の頂上に日没する(ダイヤモンド富士)のは、それから約6ヵ月後の11月の第一週ころになります。
2011/6/17
東国三社と古代の海岸線
※以下の図は、学生社の書籍「鹿島神宮」から引用させてもらいました。赤い下線は、私の方で追記したものです。
この図をみると、鹿島・香取が、かつては内海(西ノ流海、流海、安是湖)を挟んで面していたことがわかります。
2010/03/24
東国三社と海鳥居
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社の神は海からやってきたという言い伝えがあり、三社とも海に面して鳥居があります。
(1)鹿島神宮(明石浜鳥居)
(2)香取神宮(津宮鳥居)
(3)息栖神社(一の鳥居)
海とのかかわりと言っても、現在ではいずれも内陸に位置する神社なので、利根川沿いだったりして、わかりにくかと思いますが、古代の海岸線の図でみると判ります。
鹿島神宮の海鳥居
鹿島神宮・香取神宮は今でこそ内陸に位置する神社ですが、かつては海に面していました。
そのため、神様が上陸したとされる海岸に鳥居があり、そのまま海に出られるような構造でした。
初めて行った時の写真が手元にないので、学生社の書籍「鹿島神宮」から引用します。
その後、中央の通路は、コンクリートでふさがれて、2012年に行ったときは、こんな感じになりました。この頃は防波堤の向こうに海が見えおり、防波堤を乗り越えて海に出ることができたのですが、
2015年に行ったときは、東日本大震災の影響もあり、防波堤が高くなって、神様が海から上陸したという言い伝えを伝えにくいものになってしまいました。
津波の侵入を防ぐというのは、生活を守る上では大切なことなので、致し方ありませんが、神様が上陸してきたという言い伝えを感じにくい状況になったのは残念ですね。
(参考)
東日本大震災 被害状況
https://city.kashima.ibaraki.jp/soshiki/17/1303.html(リンク切れ)
2015/07/14
鹿島神宮元宮 沼尾神社・坂戸神社
鹿島神宮元宮は沼尾神社と坂戸神社なんですが、鹿島神宮に詳しい人でないと知らない場所です。2007年に行ったのですが、人知れず良いところです。
入り口はこんな場所で、元宮があるところとは思えない、当時は看板もありませんでした。
進んでいくと、草ボウボウ。本当にこっちなのか心配になる。
さらに進むと、だんだん暗くなってくる。
草をかき分けて、奥まで進むと・・・ 鳥居が見えてくる。
そして、拝殿はこちら。
その奥の本殿はこちら。
ここは、木々が自然のドームのようになっていて、鹿島の奥宮らしい雰囲気がある。
鹿島神宮のもう一つの奥宮の坂戸神社は、比較的アクセスしやすい。
表から見る。
拝殿は鳥居の奥。
そして、本殿。
そして、鹿島神宮にある元宮遙拝所。
鹿島神宮に参拝する人は多いのですが、手水舎左を入ったこの場所に気が付いている人はとても少ないです。
行くのであれば、奈良の春日大社と、鹿島(+元宮・奥宮+海岸鳥居)・香取(+奥宮+海岸鳥居)・息栖の東国三社を行くのがお勧めです。
三社を巡るのには、車が一番良いです。電車&タクシーはあまりお勧めできません。
また、電車で行くとしても、鹿島神宮駅はともかく、香取駅で降りてはいけません(笑)なにも無い駅で、タクシーもいないので、香取神宮まで、約3Kmをとぼとぼと歩く結果になってします。隣の佐原駅からタクシーで香取神宮に行くのがお勧めです。
2015/07/10
東国三社 鹿島神宮レイライン
これまで、東国三社の位置関係が富士山や太陽などのレイラインであることを書いてますが、鹿島神宮の日の出ラインもとても印象的です。
夏至の日の出が大戸神社になることは、既に書いていますが、冬至の日の出ラインは、ぴったりと、筑波山の山頂に重なります。東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)の立地位置の関係は、富士山や太陽のラインを強く意識しているのがわかります。
2013/01/25
摂社・末社について
●摂社・末社とは?
神社に行くと、境内に小さな社が置かれていることがよくあります。
これらを摂社(せっしゃ)あるいは末社(まっしゃ)と言います。
摂社・末社は、本社に附属する社ですが、かつて摂社と末社に関しては明確な区分はありませんでした。なので、摂社・末社といっても、神社によって意味が異なることがあります。
その後、神社の長い歴史からするとごく最近の明治時代に、摂社と末社を区分する基準が設けられました。
摂社:本社の祭神に関係があるもの
末社:上記以外のもの
この基準では、摂社の方が末社よりも上位に位置づけられます。
新たな基準により、江戸時代までは第一末社と呼ばれていた社が、現在は摂社と呼ばれていることもあります。
摂社・末社は本社の境内だけでなく、離れた場所にあることもよくあり、これらを境外社と呼びます。小さい社とは限らず、社務所を構え宮司が勤務する神社もあります。
●東国三社の摂社
東国三社の一社である、息栖神社は鹿島神宮の摂社(息栖神社宮司談)です。
また、東国三社の基点と言われる、大戸神社は香取神宮の摂社です。
どちらも鹿島神宮/香取神宮の敷地の外にあるので、境外の摂社です。
社務所を構え、常駐ではないものの宮司が勤務する神社です。
2018/05/12
東国三社 鹿島・香取・息栖トライアングル
息栖神社は、社伝によれば、現在地に立地する前は、東南に位置する日川地区にあったと、言われています。
香取市在住の方によれば、鹿島・香取・旧息栖神社は、正三角形になるのではないかということなので、香取・鹿島間の距離約13Kmをベースに正三角形を描いてみました。
一辺約13キロの正三角形を書いてみると、概ね日川の中に入ります(厳密には日川から少し外れるのですが、古代の地名なので、概ね入るでもいいかと思います)が、正三角形の頂点は、古代では、海の中になるので、島や海岸の痕跡が欲しいところです。
また、ほかのラインが太陽や富士山をはっきりと意識しているのに対して、正三角形の角度が、香取-鹿島のラインが45度になる以外は、天体などと関わる角度になっていないように見えるのが弱いところです。
息栖神社を神社本庁のデータで調べてみると、茨城・福島に14社ありました。
息栖神社は、1社しかないというわけではないので、昔の人は、複数の息栖神社を纏めて、イキス・オキスと呼んでいた可能性はあります。
●息栖神社(いきすじんじゃ)
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314-01 茨城県鹿島郡神栖町息栖2882
旧常陸国 鹿島郡 鹿島支部 07156
【祭神】岐神 (配祀)天鳥船命 住吉三神
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960-11 福島県福島市永井川字宮ノ下24
旧陸奥(岩代)国 信夫郡 福島支部 01135
【祭神】岐神 天鳥船命
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311-31 茨城県東茨城郡茨城町中石崎526
旧常陸国 茨城郡 東茨城支部 02040
【祭神】上筒男命 中筒男命
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311-34 茨城県東茨城郡小川町山野966
旧常陸国 茨城郡 東茨城支部 02091
【祭神】岐神 天鳥船命
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311-31 茨城県東茨城郡茨城町下土師1432
旧常陸国 茨城郡 東茨城支部 02154
【祭神】表筒男命
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319-03 茨城県東茨城郡内原町下野新田234
旧常陸国 茨城郡 東茨城支部 02172
【祭神】底筒男命 中筒男命 表筒男命
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319-03 茨城県東茨城郡内原町鯉渕1115
旧常陸国 茨城郡 東茨城支部 02177
【祭神】天津兒屋根命
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319-02 茨城県西茨城郡岩間町福嶋448
旧常陸国 茨城郡 西茨城支部 03126
【祭神】神功皇后 (配祀)表筒男命 中筒男命 底筒男命
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311-01 茨城県那珂郡那珂町中台1
旧常陸国 那珂郡 那珂支部 04045
【祭神】氣吹戸主命 天照大神 猿田彦命 鹽土翁 上筒男命 中筒男命 底筒男命 角建彦命 角建姫命
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314 茨城県鹿島郡鹿島町明石399
旧常陸国 鹿島郡 鹿島支部 07067
【祭神】岐神
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311-21 茨城県鹿島郡大洋村二重作1010
旧常陸国 鹿島郡 鹿島支部 07096
【祭神】岐神
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311-38 茨城県行方郡麻生町矢幡1573
旧常陸国 行方郡 行方支部 08001
【祭神】氣吹戸主 (配祀)大己貴命 蛭子命 (合祀)水波女命
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315-01 茨城県新治郡八郷町川又1274
旧常陸国 新治郡 新治支部 10088
【祭神】底筒男命 中筒男命 上筒男命
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319-01 茨城県新治郡八郷町宮ケ崎1-イ
旧常陸国 新治郡 新治支部 10191
【祭神】上筒男命 中筒男命 底筒男命 (配祀)大日靈命 大物主命 面足命 惶根命
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一部祭神が異なるものもありますが、概ね、
・岐神(=船戸神=衝立船戸神)
・天鳥船命
・住吉三神(オリオン三連星)
のいずれかになっており、海運と関係するので、息栖神社の本社は、古い名前の沖洲という、沖にある低い島で、航海の目印になっていたと思われます。
(参照文献)
神社本庁 平成祭データCD-ROM
入手方法など、詳しくは、神社本庁(http://www.jinjahoncho.or.jp/)にお問合せください。
2013/01/25
息栖神社跡地
その後、色々と調べてみると、現在の石塚運動公園(Googlemap)あたりに旧息栖神社があったとのことです。
とりあえず、香取と鹿島は本殿の位置、石塚運動公園の中心点を旧息栖神社と仮定して、計測してみると、
香取神宮 - 鹿島神宮 45度 13Km
香取神宮 - 旧息栖神社 101度 15Km(+15%)
鹿島神宮 - 旧息栖神社 154度 13Km
+15%ほどの誤差はあるが、香取・鹿島は敷地も広く、鹿島は昔と入口が違っているなどもありそれらが計測上の誤差にもなるので、ほぼ正三角形と言っても良さそうです。
【参考資料】
神栖市教育委員会 地域の歴史シリーズ 第1回(リンク)
まほらに吹く風に乗って<日本の美しい風景と歴史のプチディクショナリ>
地域に眠る埋もれた歴史シリーズ(15) 息栖神社と神栖地方を行く
http://rekishinosato.com/mahora/sample_pdf/15_Ikisu_S.pdf
分布に特徴ある神社を考える
鹿島神社(4)-鹿島・香取神宮 摂末関係社の分布、成田空港との関係 1
http://magnoliachizu.blogspot.jp/2014/06/4.html
息栖神社 - ハイヌミカゼ
http://www.hainumikaze.com/omake/ibaraki/ikisujinja.html
息栖神社散策と宮司さんのお話、旧鎮座地探訪(平成23年)
https://togetter.com/li/892240
2010.03.24 作成
2022.01.27 更新
コメント
こないだ、鹿島にいきました。以前、この三社にも行った事はありますが、鳥栖以外は、この写真の鳥居はわからなかった。
どこですか?
最初にこの三社にいった時も、こないだも感じたのは、「地の果て感」です。
海からきた神さまというより、自分は海に向かう、と感じました。
それとは逆に、大洗の磯前http://oarai-isosakijinja.or.jp/
では、海からくる「えびす・恵比寿・夷・蛭子」の感じです。
良いことも悪いことも、海からくる感じ。
そのうえで、静かないい場所でした。
Amano-Jokeさん
鹿島神宮の宮司さんもその本の中で、地の果てみたいなことを書いていますね。
この神宮ができたときは、大和朝廷の勢力の東の果てになるので、そういう感じもありますね。
息栖以外の鳥居は本殿からは少し離れたところにあるのですが、その話は後続の記事で書ければと思います。