『誰がかまうもんか?!』(リンク)を再読中です。
この種の一元性に関する本の場合、一度読んで理解できたつもりでも咀嚼できてないことは珍しくないので、改めて再読してみると新たな気づきに達することが良くあります。
最近は、ラメッシ・バルセカールの本、
『誰がかまうもんか?!』→『意識は語る』(リンク)
と進んで、次にラメッシの師である、マハラジの
『アイ・アム・ザット 私は在る』(ニサルガダッタ・マハラジ)(Amazon)
と、読み進んできたのですが、マハラジとラメッシでこれほど語り方が違うのには、ちょっとびっくりしました。
師と弟子という関係であり、同じ一元性を語っているにも関わらず、語り方にかなり違いがあります。一元性に対して、マハラジは集中的な視点から語るのに対して、ラメッシは俯瞰的な視点から語っています。
このあたりは生い立ちとも関係するようで、マハラジはボンベイで小さな雑貨店を開いていたのに対して、ラメッシは銀行員として最終的には頭取になっています。
それゆえに、マハラジは個人の集中的な視点、ラメッシは(組織の長という立場の)俯瞰的な視点から一元性を語っているように思えます。
あくまでも相性だと思いますが、私の場合ラメッシの語り方は良く入ってくるのですが、マハラジの語り方だと同じ事を何度も角度を変えて語るというのが時としては解りづらいので、マハラジの本は一度中断して、ラメッシを再読しています。
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