人生がひっくり返る

◆悟り・ノンデュアリティ

こちらの記事で、

空の教え
仏教の空の教えに接しても自分の人生がひっくり返ってしまったと感じないとしたら、それは十分に真剣に学んでいないということなのだ。ダライ・ラマ

ダライラマの言葉を紹介していますが、空の教えを理解しようとすると、なぜ人生がひっくり返るのか?

通常私たちが住んでいる世界を認識するとき、このようにして、
「物質→感覚器官(目耳鼻口肌)→感覚(五感)→認識→思考」
世界を認識していると思っています。
しかもこれが絶対的真実であるということが暗黙の思い込みになっているため、これを疑ったりすることすらありません。
二元性という分離の世界観でこの世界を見る時には、この暗黙の思い込みが前提で世界を認識し、自分という存在を認識しています。
つまり、
・物質が存在する
・物質を感覚器官を通じて五感で感知する
・五感を持った私という個人が存在する
・個人が五感を通じて世界を認識し
・個人がこの世界について思考する
ということを行っているということは、絶対的な真実であるとされています。

ところが、空の教え、あるは非二元性・ノンデュアリティにおいては、この順番がまったく逆になります。
「空→現れ→感覚(五感)→肉体(感覚器官)→物質」
そもそもこの世界は、空であり、始まりも終わりもない。その空を基盤として、現れが生じ、それが感覚という認識となり、認識を物質的に受け取る器官があり、そして認識のあるところに物質が存在する。ということになります。
・空だけが存在する
・空から現れが生じ
・感覚が生じ認識となる
・個人は存在せず、空が世界を創造する
・創造された世界を分離的な現れを通じて空が認識する
となり、二元的観念で信じていた事が実は真実ではないという経験をします。

つまり、二元性において暗黙の前提すなわち、常識・絶対的であると信じていたことがひっくり返ってしまうことになり、ひいては人生がひっくり返ってしまうことにつながるわけです。

(分離的な現れである)私の分類では、
二元性=スピリチュアル
非二元性=ノンデュアリティ
という定義にしていますが、スピリチュアルを学んでいくことは、二元性を拡張することなので、人生がひっくり返るようなことには通常なりません。
しかし、ノンデュアリティの道に進むことは、一度人生がひっくり返ってしまうようなことを経験しないと、本当に理解しているとは言えません。

そして、十分にひっくり返って、ノンデュアリティを深く理解すると、二元性という制限や制約から自由になり、スピリチュアルとノンデュアリティが同居することができるようになり、人生は以前より、もっと深く軽やかで楽しいものになります。

ただし、ノンデュアリティを十分深く理解するまでの間は「理解のとんぼ返り」が起きやすく、二元性と非二元性の間を行ったり来たりするため、不安定や不安を感じることがあります。

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