詳しくは、東京に帰ってから書きますが、色々な温泉にいってみたのですが、最後の今日の宿の「天然温泉」は、地下1100m以上掘ったところから汲み上げているものです。
温泉の定義からすれば、確かに温泉になりますが、それは成分や温度の話であり、そもそも温泉とは何かを考えたとき、私の定義では、「人の身体およびエネルギーに何らかの良い影響を与えるもの」ということになるのですが、今日の温泉は、水質は確かに水道水とは違うものの、実際に入ってみても何も「良い影響」というのが感じられないものでした。むしろ水道水のお湯の方がいいくらいです。
科学的な温泉分析の結果として、温泉を成分と温度で見てしまい、その効用という側面が忘れられているような気がした、今日の温泉でした。
コメント
こんにちは。
松田忠徳先生の著作を読むと、「ふるさと創生資金」以降の公共温泉ブームについての検証、批判が書かれていますね。源泉かけ流しということにこだわるとすると、大箱の温泉ホテルなどは、軒並みNGということになりそうです。
最近は、温泉地のホテルは苦しんでいるようですけれど、駅前の温泉付ホテルは活況を呈しているようです。掘削技術の進歩のおかげですね。どうも、泉質がどうあれ、温泉であれば客が入るという現実があるようです。
また、ぱっと調べただけなので、わかりませんが、温泉ブームであっちにもこっちにも温泉ができてもうしばらく経ちますが、危惧されていたような、新しい温泉ができて古い温泉が潰れ、といったこと、あるいは、新しい温泉が客の奪い合いの果てに潰れたりといったことが、事例として見つかりませんでした。古い本に掲載されていた、それらの温泉施設は大抵今も存続しています。
なんなんでしょう? 日本人のいい加減さが良い方向で作用しているのでしょうか?
すずめさん
大箱の温泉ホテル・旅館というのは、かつてのビジネスモデル(海外旅行で言えば、かつて人気のあったJALパックのような、団体パックもの)であり、これから生き残るには、きちんとした特長をもつことが必要です。そういった意味で、これまでどおりの営業スタイルでは軒並みNGとなってしまうのもいたし方ないかと思います。
一方で、温泉地のホテル・旅館はこれからの時代に向けてビジネスモデルの転換が必要なのだけど、これまでの成功体験があるがゆえに、なかなか切り替えできないという背景がある上に、バブル時代に過剰投資をしてしまい、その足かせがあり転換したくても、難しいという側面もあります。
温泉というものは、そもそも日本人の特性にあったものであるということが、温泉ブームというのが、何年かおきに起きていることを見ても分かると思います。
温泉に行こうとすれば、離れた土地に行くことが必要であったこれまでと違い、手近に温泉に行くことができるようになった分だけ、新たな需要を開拓しているということになっているのだと思います。
もっとも、その温泉がホンモノであるかどうかは別ですが。
日本人の特性として、よく言われることですが、ブランド志向というのがあります。
ブランド(XX温泉)さえ付いていれば、それで安心してしまうところがあり、それは最近の食品偽装を見ても分かるとおり、ラベルが付いていれば、その中身を詮索しないというのが、良くも悪くも日本人の特性であるのは確かです。
そのため、ホンモノの温泉とそうでない温泉が共存できているというのが、現状ではないかと考えています。
そういったことに対して、私のほうでは、あくまでも泉質にこだわった見方をしたいと考えています。