金運神社を見分ける鍵はエネルギー

神社

金運神社について、結果が出る神社と結果が出ない神社があります。
その理由が分かってきました。

金運神社をネットで検索すると、色々な人が色々な神社を取り上げていますが、そうとは思えないというか、言えない神社もよくあります。それらの理由についても書きます。

金運神社もどきのバリエーション

その1 無理やり結び付け
神社の祀神の古事記・日本書紀の記述や言い伝えから無理やり縁結びに結び付けていることがよくあります。
これは、縁結びの御利益ということにしておくと、参拝者が増えるという関係があるため、神社を維持させるために無理やり結び付けているわけです。

これと同じで、御利益に商売繁盛や金運があると参拝者が増えるということから、無理やり結び付けしているのをよく見かけます。

無理やり結び付けしているので、結果はほとんど出ないことになりますから、こちらの神社が話題になることはありません。

その2 結果としての金運
神社の御利益の、商売繁盛・事業発展・社業繁栄などは、結果として会社の収益が上がるので、これをもって金運としていることがあります。こちらの方は、あくまでも結果としての金運であり、本来の御利益というのは繁栄・発展になります。

金運としてネットで書かれている神社の大部分はこちらになります。繁栄・発展になるので、直接的な金運ではなく、間接的な金運になります。

その3 作られた金運神社
そもそもは、金運神社ではないのですが、神社関係者が金運を謳いだすきっかけは、参拝した人の中に、たまたま宝くじに当選したとか、事業に成功したと言う人いて、その成功例を神社が前面に押し出していくと、それにつられて参拝者が増える。

参拝者が増えると、その中に次の当選者や成功者が現れるので、さらに前面への押出を強化するために、境内に縁起物を沢山置いたりする。そうして、金運神社と呼ばれるようになって行く。

実例があるので、金運神社であるかのように見えるのですが、実際に参拝してみると、そういったエネルギーは存在していません。
しかし、神社関係者と参拝者が金運神社であるという信念が形成されているので、その結果として金運も少しやって来ることになります。

あるいは、神社に関する過去の言い伝えから、金運神社と呼ばれることがありますが、それは神社ではなく、その人の金運が現れたものなので、神社自身に金運があるわけではありません。

その4 金運神社になってしまった
金運神社ではないのに、経済界の有名人が金運神社だと言うことで、金運神社になってしまった神社があります。実際に参拝してみても御金のエネルギーはなく、祀られた神のエネルギーだけがあります。

神社側にしてみれば、金運ということで参拝客(=収入)が増えるので、それを否定しません。結果としてネット上で出回る金運神社であるという話がそのままになっています。

金運神社のエネルギー

本当の意味での金運神社は、高く・良いエネルギーが特徴です。
高くて良いエネルギーを持っているので、それに魅かれて参拝する人も自然と多くなりますし、御守などの授与品を買う人も多くなります。

この金運のエネルギーを言葉で表すのは難しいのですが、あえて言うなら「御金の匂いがする」とでも言いますか、独特のエネルギーを持っています。
これは、神社だけでなく、御守などの授与品にもあります。

高く・良いエネルギーがあると、そのエネルギーが参拝者に届き同調するようになります。そうして、参拝者にそのエネルギーが留まることになります。

高く・良いエネルギーとは、神のエネルギーとも言えるので、神の御業(みわざ)として金運がもたらされる結果となります。そのため、驚くような結果が出て来ることもあります。

金運神社を言い伝えや、境内の縁起物という見かけではなく、神社が持っているエネルギーで判断することが大切です。

コメント

  1. あさがお より:

    八雲さま

    実際に参拝されて、わかりやすく丁寧に説明して頂きましてありがとうございます。
    私自身は、金運神社と言うと人のエネルギー(参拝者と神社の人)が強いイメージがあり、なかなか金運神社と言われている所に足が向かなかったのですが、昨年何故か急に、お金が欲しい→金運アップするぞ→金運神社に行くぞというモードになり、金運をキーワードに調べて茨城〜栃木の神社に初めて参拝しました。
    名前からか金運神社と言われている大宝八幡宮からスタートする予定でしたが、調べると近くに一言主神社があることを知ったのでこちからスタートしました。ルートを調べていた時、八雲さまのおっしゃるとおり、国道294号線沿線、関東鉄道常総線、真岡鉄道沿線にそれぞれの神社があるのが面白く、スムーズに回ることが出来ました。
    私にとってこの時の参拝は、概念にとらわれないようにすることに気づく為の参拝だったのだと八雲さまのブログを読んで深く納得いたしました。ありがとうございます。

  2. 桜咲く春 より:

    金運神社と呼ばれている神社の中には
    人の想念がものすごく強い神社があり、
    神様エネルギーよりもそちらのエネルギーの方が
    はるかに上回っている神社がありますね。
    本当はいい神社なのに人の想念の集合場所みたいになってしまって
    ここ神社?みたいな神社がありますね。
    でも、人がたくさん来て願い事をたくさんして帰っても
    非常にクリアな神社もあり、その違いがどこで生じるのかが、
    とても不思議に感じます。

  3. 八雲 より:

    > 桜咲く春さん

    縁切り榎の関連記事でも書いてますが、

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    場のエネルギーや祀られている神のエネルギーが強く、浄化的な力があるかどうかだと思います。
    浄化的な力が弱い神社は、参拝者や神社の運営者の想念が境内にコロコロと転がっているのに対して、浄化的な力が強い神社の場合は、人の想念そのものを浄化させてしまうだけの力があります。
    つまり、場のエネルギーあるいは祀られている神々のエネルギーがどれだけ強い場所なのかが決め手であるようです。

    先日、大前神社に再訪したのですが、新年参拝では人が多くて分かりにくかったのですが、今回は人がいない分、大前神社の祀られている神々のエネルギーの強さを実感しました。

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