東の空から 7月11日

雑記

初めての富士山ワーク

富士山ワークの歴史を振返ってみると、初めて行なったのは2005年なので、13年前になります。

初めての富士山ワークの出発点で見たのが、彩雲(さいうん)。
彩雲は、雲が虹色に彩られる現象で吉兆とされています。

その頃は、まだフルタイムでスピリチュアルな仕事をする前の手探りの時代で、何もかもが初めての経験でした。

そして、仕事は無くなる

2006年にはIT系の仕事は全て無くなってしまい、フルタイムでスピリチュアルな仕事をするしかない状況になりましたが、正直なところ抵抗してました。

スピリチュアルな仕事って、将来に対する何の保証も約束もありません。明日から誰も来てくれなくなるかもしれません。

だから抵抗するのですが、ガイドさんは「こちらの方向に行け」と言わんばかりに、首根っこを掴んでそちらの方向に向かわせるので、もはや諦めの境地で進んで行ったのがその頃です。

心の支えであり、経済的な支え

そんな中で、富士山ワークは私にとって一つの支えでした。心の支えであり、経済的な支えでもあり、2006年-2007年には一年で4回の富士山ワークを行っていました。

新しい富士山ワークへ

そして、今年2018年の富士山ワークは、これまで長年行ってきたものと、参拝する神社は変わらないのですが、その枠組みは全く新しい次元のものです。

これから先、富士山ワークがどう変化して行くのか分りませんが、新しい富士山ワークに向かって進んで行きたいと思います。

コメント

  1. おとぎバナナ より:

    〉もはや諦めの境地で

    へぇー、そうだったんですね。
    あの頃の自分に今の八雲さんなら
    なんて声をかけますか?

  2. 八雲 より:

    > おとぎバナナさん

    それは届かない声です。
    届かない声を掛けることはしません。

  3. おとぎバナナ より:

    八雲さま

    お返事ありがとうございました。
    八雲さんはそうなのですね。

    私は少し違って、「届くかもしれない」を
    感じるし、信じたいから
    私だったらこう言うと思います。

    「よくここまで来たね(^^)」

    と。

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