喪中について

スピリチュアル

昨年三月に父が亡くなったので、私の場合世間的には現在も喪中ということになります。

忌中・喪中の決まり事は、地域や宗派によってかなり異なります。
なので、私の考え方を書いておきます。あくまでも私の場合の考え方なので、親戚一同が集まって決める場合については、一同のみなさんが同意できる考え方で進めてください。

忌中・喪中の霊的な意味での基本的な考え方は、死んだ人をしっかりとあの世に送り出すということです。
死んだのに、こちらの世界に未練が残っていて、ウロウロされるというのは面倒なことを引き起こしかねないので、しっかりとあの世に行ってもらうために、色々な決まり事が存在しています。

これらの決まり事は、死んだ人の魂が今どこにいるのか見えない人の為につくられていますので、期間や行うこと、行ってはいけないことなど細かく決められています。

死んだ人がまだこちらの世界に残っている場合、自分の家族・親戚が、忌中・喪中であることを見て、自分が死んだということを確認することになり、そうして自分が既にこの世の人間ではないことを認識して、あの世に向かうことになります。

決まり事は、死んだ人をしっかりとあの世に送り出すためにあるので、見える人の場合、あの世にしっかりと行ったことを見届けたなら、それらの決まり事は不要になります。

そういう意味で、私の場合4月の四十九日の法事を行った時点で、しっかりとあの世に行っているのを確認できたので、その後は普段通りの生活に戻しており、社寺への参拝や新年のあいさつも普段通りに戻しています。

コメント

  1. 川出可子 より:

    八雲様
    いつも拝読しております。
    神社の参拝についてお尋ねします。
    先日、父が亡くなりました。49日の法要もまだなのでいわゆる喪中です。喪中は神社へは行ってはいけないと言われますが、やはりそういうものでしょうか。実は生前、父は龍神様に守られていると言われたことがあり、龍のいると言われる井戸を持つ産土神様に会いに行きたい気持ちがあるのですが、八雲さんの見解をお聞かせ願えれば幸いです。

  2. 八雲 より:

    > 川出可子さん

    忌中・喪中の考え方は、こちらの記事にある通りです。
    忌中・喪中期間に神社に行くのかどうかは、本来は決まり事ではありません。

    霊的な事が見える人であれば、亡くなられた方それぞれに合わせて行うことが可能ですが、見えない人の場合は社会の常識的な拠り所が欲しくなるので、その結果決まり事が出来上がってます。

    亡くなられた方とのご縁がある神社で、参拝することでしっかりあの世に送り出すことが出来るのであれば、参拝した方が良いです。

    ただ、近所や親戚筋などに決まり事にうるさい人がいる場合。そういう人に知られると何かと面倒な事になりかねないので、知られないようにして出掛けてください。

    こちらの記事も参考になると思います。

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