●スピリチュアルは非科学的?
スピリチュアルは科学的では無い、つまり非科学的という批判をされることがあります。(特に大学教授などの科学的立場にある人)
そう言う人達は、物事を科学的か非科学的かという二分類しかしていません。
●科学は進歩するもの
科学は進歩しながら、科学の分野を広げて来たという歴史があります。
私たちが普段使用しているパソコンやスマートフォンはコンピューターの科学進歩の成果の一つですが、現在のコンピューターの原型であるディジタル計算機ENIACが製作されたのは1946年、わずか72年前のことです。そして、現在ではコンピューターを使った計算科学というシミュレーションが新しい科学分野になっています。
100年前の人達に、現代のコンピューターの話をすれば、そんなのは荒唐無稽な空想であり、科学的ではないと断言されてしまうでしょう。
●科学は三つある
科学は、科学的か非科学的かという二分だけではなく、まだ科学になっていないもの=未科学があります。
科学:理論が一貫して、再現性がある。
非科学:理論が破綻して、再現性がない。
未科学:理論がまだ発見されていない。再現性がある。
スピリチュアルは現時点では、理論的というよりは経験則的なので、未科学の分野になります。
将来的には、スピリチュアルは(バシャールが言うように)科学の一分野になるでしょうが、その為には学際的な長く広く深い研究が必要になります。
●コンピューターの世界から、スピリチュアルへ
私自身、以前はコンピューター・エンジニアだったので、エンジニアがスピリチュアルな世界に入って来るのが不思議と言われる事があるのですが、科学的か非科学的かという二つの考え方しかなければ、それは不思議なことになります。
しかし、未科学の分野として未来を先取りしているのだと考えるなら、それは不思議なことではありません。
沢山の神社を巡って、何かを掴むというのは、武道の鍛錬にも似た所があり、経験値を重ねることで何かが出来るようになるというのは、この世界に沢山あります。
そういった事は、まだ科学として十分に解明されていないですが、科学が進歩すればいずれは科学的な説明がなされるようになるのだと思います。
●オカルトは非科学
いわゆるオカルトというのは、それを語る人の話を聞いたり読んだりすると、論理が破綻しており、データも検証も不十分なものです。
それは非科学と言われてしまいます。
●科学とスピリチュアルは両立する
ここまで見て来たように、科学を三つ(科学、非科学、未科学)に分類するなら、科学とスピリチュアルは両立します。
スピリチュアルにおいても、科学的な要素である、理論とデータと検証が大切なのは言うまでもありません。
私自身の場合は、初めての土地で初めての神社にガイドさんの声の案内だけを頼りにして、ちゃんと目的地の神社に着くという経験を何度も何度もしてきました。
何度も経験するたびに検証してきた(=再現性がある)から、スピリチュアルがこれから先に科学になるということを言うことができます。
●(追記)再現性について
上記で、
非科学:理論が破綻して、再現性がない。
未科学:理論がまだ発見されていない。再現性がある。
と書いていますが、スピリチュアル批判のよくある争点が、
「再現性がない」
ということです。
スピリチュアルは、主観的な事を扱うので、誰にでもまったく同じ事が起きるという100%の再現性がないのは事実です。
批判者が言う再現性というのは、多くの場合「100%の再現性」ということですが、心理学など主観的なことを扱う場合、100%の再現性はありません。
化学や物理の実験では100%の再現性が基本になりますが、それは対象が物質だから可能なことです。
しかし、スピリチュアルの対象は人間です。
人間を対象とした場合、科学であれスピリチュアルであれ、100%の再現性はないのが普通です。
100%の再現性がないということについて、医者に処方された薬で見てみます。
処方された薬というのは、科学的な検証を得て国家によって承認されたものです。
この処方された薬が全ての人に確実に効果があるでしょうか?
この記事を読んでいるあなたにも体験があると思いますが、処方された薬が効いたり効かなかったりするのは、普通にあることです。
処方される薬というのは、一定の効果が認められるから承認されるのであって、100%の効果を証明されているわけではありません。
人の命を預かる医薬でも、100%ということはありません。
つまり、効果が認められるというのは、一定の再現性が認められるということであって、全ての人に100%の効果があるのではありません。
スピリチュアルにおける再現性も同じで、多様な個性を持つ人間に100%の再現性を求めるのは、そもそもが間違いです。
しかし、充分な再現性があるから、医薬もスピリチュアルも人の役に立つことが出来ているのです。
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