神様や神社に呼ばれて、よく出かけてますが、呼ばれた時点で「呼ばれた意味」を考えることはありません。
呼ばれたという話をすると、よく聞かれるのは、「なんで呼ばれたのか?」「呼ばれた意味は何か?」ということです。
質問している人が聞いているのは呼ばれた場合に、「行くかどうかは、意味による」ということです。そして、その「意味に納得できれば行く」という判断を無意識的に行っています。
それは、「事前に行く意味を知って、納得できれば行く。納得できなければ行かない。」ということになります。
ところが、神様や神社に呼ばれる場合は、事前にその意味を知らされることはとても少ないです。なので、行くときには行く意味を知らないで行くことになります。
そこが、神様や神社に呼ばれる人と、呼ばれない人の分かれ目になります。
神様や神社の視点と、肉体を持っている人間の視点を比べたとき、人間は肉体を持っているがゆえに、その視点はとても限られたものになります。
神様や神社の視点は、人間の視点と比べると、圧倒的に広く深いところから見ています。
視点の狭い人間が頭で考えることと、圧倒的に広い神様や神社が考えることを比べてみることが大切です。
神様や神社が考えていることは、人間の頭で考える範囲やレベルを超えています。
その視点から見たことを、視野の狭い人間に事前に言葉で伝えたところで、理解できないのがオチです。
その場に立って、その言葉を聞いて、初めてわかることがあります。
それは、事前の予想を遥かに超えた世界です。
だから、事前に考えたところで、意味がないのです。
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