スピリチュアルな道を進んでいく時、「欲を無くす」ということが大切であると言われます。
しかし、「欲が無くなったら人間らしくなくなってしまう。」と思っている人が以外と多くいますが、これは勘違いです。
欲には三種類あり、ここではそれを「生存欲」「自然欲」「刺激欲」と呼びます。
生存欲は、自分自身を存続させるためのもので、食欲や睡眠欲が知られています。食欲と睡眠欲は無くすことができません。性欲については、本来生存欲なのですが、刺激欲的な側面もあります。
自然欲とは、他人からの評価は関係なく、自分自身の内側から発する、自分自身がどうしてもやりたいこと、これが自然欲です。
刺激欲は、自分自身以外の人から何らかの刺激(見る、聞く、評価する、評価される)が元になって、比較という視点が入ったもので、この欲には際限が無くどこまでも終わりがありません。この世界においては、人生を刺激欲を満たすことで生きている人が多くみられます。
刺激欲では、比較があるので、より多く・より高くが常にあります。そのため、たとえそれを実現しても、満足できるのは、実現した瞬間でしかありません。次の瞬間は、それが当たり前になり、またより多く・より高くに向かうので、一時的な幸福で終わってしまいます。
自然欲には、この比較という視点がありません。やりたい何かを行っている時(何も行わないで静かにすることも、この何かに含まれます)のその瞬間瞬間が常に幸せの連続になります。
欲を無くせと言われているのは、刺激欲の方です。スピリチュアルな道を進んで欲が無くなった時、自然欲だけが残ります。
ブッダやキリストが教えを説いていたのは、この自然欲が発露されたものであり、それはまさに自然な事なのです。
人が何かを行うとき、他人からの評価や評判、人との取引など、他人から何かを得ることを目的としたものではなく、自分自身の純粋な表現であるとき、それは自然欲の発露です。それはとても人間らしい(時には人間くさい)すてきな姿になります。
コメント
この記事を読んだ時、
何故だか強く励まされたような感覚になりました。
心にスーッと浸透していきました。
読めて良かったです。ありがとうございました。
こんにちは。
とても明快、かつ斬新な分類方法だと思います。
人間の欲を、「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」といったように三つに分類されるとよく聞きますが、その中でも「性欲」だけはどうも不可解な存在です。といいますのは、人間の「性欲」については他の動物のそれとは異なる様相を呈するためです。「種の保存」という目的以外に、「快楽」という側面があり、現代ではこの面への関心がどうも肥大化しているようにも思えます。この「快楽」を追求することで他者への暴力などにも発展していますし、また自身の身の破滅にまで至る場合もあります。その一方で文学などの芸術作品にまで昇華させてゆく人もおります。この一つの理由として、人間は大脳(情緒)が発達していることを挙げる学者の意見を耳にします。「性ほど深淵なるものはない」というマルキ・ド・サド侯爵の言葉もあります。私には、人間の性欲というものが「種の保存」とは乖離した次元でとどまることなく進化しつづけている(現代の)状況が不可思議にも映りますし、時にはこうした状況に嫌悪感を抱かずにはいられません。
話はそれましたが、「性欲」には「生存欲」から来るものと「刺激欲」から来るものとがあると考えれば納得はできますね。
あぁ、大きく舵を切りつつある訳が解った気がします。
今まで目指していたものは、刺激欲が基本になっていました。
ありがとうございます。
わかりやすい説明を、ありがとうございます。
先週の日食の後、体調不良が続いていましたが、昨日ストンと落ち着きました。人生の舵の記事と、この記事。ここしばらく、まさにそれをしていました。刺激欲が少なくなってきて、自分らしさとか人間らしさのようなものを取り戻しつつあり、自分を見る目が変わってきました。今は、これまで知らなかった自分を発見するのが面白いです。
八雲さんの一連のヒーリングから秋分のヒーリングのおかげで、スムーズに流れに乗れているようです。
自分の内面の変化が大きくて、現実の環境(仕事や住まいや・・・は同じなのに、今年のはじめには、自分がこんなになっているとは、全く想像もつきませんでした。年末には、どうなっているでしょうね(*^_^*)