◆悟り・ノンデュアリティ

スピリチュアル

物質的現実から、幻想的現実へ

ワンネスと言う言葉を表面的に理解するのは簡単なことですが、深く理解しようとするとき、実は結構難解な概念であるということに気が付きます。 ワンネスとは、「源泉」という普遍的な源が全てを生み出すということであるわけですから、私たちが普段、物質を...
スピリチュアル

ワンネスを知識として理解するのは

ワンネスを知識として理解するのはとても簡単だが、それは表面的な理解でしかない。 真にワンネスを深く理解しようとするとき、それはとてつもないパラダイム転換を引き起こす。 パラダイム転換のプロセスの最中に居る時は、混乱と疑念と不安が生じるが、そ...
スピリチュアル

般若心経は唱えるものではなく、理解するものである

般若心経については、唱えると功徳があるということが良く言われていますが、その点については、ちょっと疑問があります。 というのも、関東だけでなく、西国の不動霊場・観音霊場も巡った経験から言うと、各地の霊場において、般若心経をただ唱えているだけ...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟りと人徳

以外と思う人も多いと思いますが、 悟りと人徳との間には、関係がありません。 人徳が無くても、悟る人は、悟ります。 人徳があっても、悟れない人は、悟れません。 徳を積んだら悟れるというのは、勘違いです。 悟りと人徳とは、そもそも別の概念なので...
◆悟り・ノンデュアリティ

私という個は実在しない

私という個は、存在はするが、 実在したことは、これまで、 ただの一度もなく、 これからも、実在することはない。 実在するのは、源泉だけである。 源泉を神と呼んだり、I AMと言ったり、ワンネスと呼んだり、あるいは真我などと言うこともあるが、...
スピリチュアル

スピリチュアルな成長の道における、あなたの立ち位置

スピリチュアルな成長の道を進んでいる人が、自分の立ち位置がどこになるのかを自分でチェックできるように、図にしてみました。 私自身は、以下で説明する全ての立ち位置を経験しているので、それらの違いについて説明できますが、スピリチュアルな事を行っ...
◆悟り・ノンデュアリティ

誰がかまうもんか?!

この本は、今読んでいる途中ですが、紹介します。 『誰がかまうもんか?! ラメッシ・バルセカールのユニークな教え』 この本は、合う人と合わない人がはっきりと分かれる本だと思います。 また、合う人であっても、この本を読む時期が来ていない時には、...
◆悟り・ノンデュアリティ

エゴは実在しない

スピリチュアルの探究、スピリチュアルの成長において、よく言われることに、エゴの解消というものがあります。 私自身も過去の記事でエゴについて書いていますが、エゴについて良く観ていると、エゴというものが、実は実在しないということが解ってきます。...
スピリチュアル

災害はなぜ起きるのか (改訂版)

我々は、元々居た世界である「空の世界」ではできない体験を求めて、自分の中の人の部分ではなく、神の部分が物質的世界に降り立っ事を決めました。そうして、我々は、この物資的世界に居るわけです。 自分の中の神の立場から見ると、元居た世界、本来の自分...
スピリチュアル

考えることで、人は「無知」になる

「考えない練習」という本を読んでいるところです。まだ読み終わっていないのですが、最近思っていることをうまく表現しているので、こちらに書いておきます。 「考えない練習」の第一章のサブタイトルに、 考えることで、人は「無知」になる とありますが...
◆悟り・ノンデュアリティ

茶碗の中のビー玉

日常において一般的には、空の感覚より、エネルギー感覚より、物質感覚の方が強いのですが、これはそうなるようにこの世界が出来ているからです。 下の図は、茶碗の中にビー玉が入っている図で、下はその断面です。茶碗は物質世界を、ビー玉が人間を現してい...
スピリチュアル

慈悲と愛の違い

この記事における慈悲の解説については、私自身の解釈ですので、仏教における慈悲とは少し異なる説明になるかもしれません。あしからず。 スピリチュアルにおいて、愛が語られることが多いのですが、慈悲と愛については、似ているけれども、立脚点が異なるも...
スピリチュアル

わたしとは、アルファでありオメガである

物質的な世界観においては、わたしというのは肉体的な分離した存在としてのわたしでしかありませんが、"スピリチュアルな目覚めの道"を(意図しているにせよ、意図していないにせよ)歩んでいる時のわたしは、物質的な世界観におけるわたしとは大きく異なり...
スピリチュアル

刺激欲を無くす

スピリチュアルな道を進んでいく時、「欲を無くす」ということが大切であると言われます。 しかし、「欲が無くなったら人間らしくなくなってしまう。」と思っている人が以外と多くいますが、これは勘違いです。 欲には三種類あり、ここではそれを「生存欲」...
◆悟り・ノンデュアリティ

一度で悟りきる人はいない

「一度で悟りきる」ことができる人はいません。 悟りは、一度では達することはできません。 スピリチュアルに詳しい人でさえ誤解していることが多いです。 一度、悟っても、元に戻ってしまうこともよくあります。 これを「定着しない悟り」と言います。 ...
◆悟り・ノンデュアリティ

自分を無くす

スピリチュアルな目覚め/悟りに向かう上で非常に重要なことの一つは、「自分を無くす」ということです。 自分を無くすことは・・・ 失うことではなく、 エゴという制約や制限から解放されること。 忘れていた大きな自由を取り戻すということ。 全知のレ...
◆悟り・ノンデュアリティ

エゴは、幸せと、不幸せをもたらしてくれる

エゴがあると、それは幸せと、不幸せをもたらしてくれる。 エゴを無くした後に残るのは、幸せだけである。
◆悟り・ノンデュアリティ

読む覚醒、書く覚醒

ナチュラルスピリット社の出版している本に、覚醒ブックスというものがありますが、それはまさに読む覚醒といったところです。 覚醒=スピリチュアルな目覚めを目指す。あるいは、その道を自覚的にせよ、自覚的でないにせよ進んでいる人達にとって、最初に必...
スピリチュアル

四つのスピリチュアル

この世界の基本的な特徴は、「多様性」です。なので、スピリチュアルに生きると言うとき、スピリチュアルにも様々なバリエーションが存在します。 それらを、わかりやすくするために、一種類+四種類に集約してみました。(ここでは、言葉が長くなってしまう...
◆悟り・ノンデュアリティ

糸の切れた凧になる

スピリチュアルな目覚めのプロセスにおいて、糸の切れた凧のような状態になることがあります。 それは、この世界に生まれてから今日まで積み上げてきた価値観・世界観といったものを手放すことが必要になるからです。目覚めていくには、手放すことが必要で、...
◆悟り・ノンデュアリティ

「般若心経」と「世界が悟る」は同じである (8/25更新)

以下の記事で、「世界が悟った」ということを書いていますが、 世界が悟るというのは、一般的な論理においては明らかに矛盾しています。個人が悟るのであればともかく、世界が悟るというのは、地球上の全ての人が悟るということになってしまいます。しかし、...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟りは教えることができるか?

ここ最近ずっと、「悟りは教えることができるか?」ということについて黙考していたのですが、結論から言えば「教えることはできない」ということです。アジャ・シャンティさんなどのように、悟りについて教えている人も、悟りそのものを教えることは出来ない...
◆悟り・ノンデュアリティ

深く目覚めるためには

自分の外側にあるものには実体がなく、自分の内側を反映しているだけであり、自分以外の外側の世界を探求することは、目覚めには繋がらないということを理解しなければならない。 ゆえに、外側の世界に対する「ある種の絶望」が必要になる。 これは、我々の...
◆悟り・ノンデュアリティ

聖なる帰還

エゴの動因は、(1)気持ち良くなること と (2)存続 の二つです。 今回は、エゴの動因である「気持ち良くなること」について: 気持ち良くなるというのは、嬉しいとか美味しいとか幸せを感じるといったことですが、これらが人間の深いところからのも...
◆悟り・ノンデュアリティ

生そのものである

肉体は、自分ではなく、思考も自分ではない。 自分というのは、肉体や思考ではなく、生(せい)そのものである。 生そのものは、生まれることもなく、死ぬこともない。分離もなく、全てである。 よって、そこには自我が存在しない。 目覚めていないという...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟りは自我ではない

悟りを自我と関係づけて語る人が多いように思えますが、悟りというのは自我が静かになり沈静化し、無になった瞬間に起きることです。なので、悟りと自我の間に、関係付けは本来存在しません。 誰かが、悟りを自我と関係づけて語っているとしたら、「その瞬間...
◆悟り・ノンデュアリティ

スピリチュアルな目覚めと悟り

このブログの記事において、「スピリチュアルな目覚め」と表現することもあれば、「悟り」と表現することもありますが、どちらも同じ意味として扱っています。 スピリチュアルな目覚め/悟りというのは、本来言葉を超えたものです。そのため、それを言葉で伝...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟っていくプロセスは、快晴と嵐の両方を経験する

一度で全てを悟りきる人と言うのは非常にまれで、ほとんどの人は、小さな悟りや中くらいの悟り、そして大きな悟りといったものを何度も体験していくことで、悟っていくというプロセスを進んで行きます。 悟りのプロセスというのは、天気で表現すると、快晴の...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟る時、私はいない

関東三十六不動を巡拝していた時のことです。第三十三番の高塚不動尊の階段を上り、赤い不動堂の前で、参拝していると、突然それはやってきました。 その時に、口をついて出た言葉は ・・・ 「世界が悟った」 私という概念は消失していました。肉体的に見...
スピリチュアル

瞑想に特定の形はない

私の場合、車で長い距離を走ることが瞑想になっています。 瞑想と言うと、静かに座っているイメージが強いのですが、瞑想に特定の形はありません。 OSHOの言葉を以下に引用します。 走ることは、瞑想になり得る。 ジョギング、ダンス、水泳、何であれ...