◆悟り・ノンデュアリティ

◆悟り・ノンデュアリティ

宗教の中に悟りはない

悟りと宗教は、全く異なるものです。悟った存在である仏陀やイエスは宗教を作りませんでした。宗教が出来上がったのは、悟ってない人達が悟りを求めて行った結果なのです。悟りは自由であり、宗教は束縛です。本来的に、その二つは相いれないものなのです。悟...
◆悟り・ノンデュアリティ

ノンデュアリティは全てを包括する

以前の記事で、こちらの図を使って説明しています。この図は、フィジカルとスピリチュアルとノンデュアリティの違いを説明する為に使ったのですが、少し誤解があるようなので、改めて説明しておくと、この図は、三つの分野には共通点と個別の独立点があるとい...
◆悟り・ノンデュアリティ

私は悟ったと言っている人は悟っていない

自ら、悟ったと言っている人が、この世界は幻想に過ぎないと言って、山奥に隠れたり、社会から逃れたりするのは、まだ悟っていない証拠です。なぜなら、この世界の全ては私なのですから、日常こそが全てです。世界を放棄したところで、全ては一つなのですから...
スピリチュアル

ノンデュアリティからスピリチュアルを再構築する:チャネリング(その3)

(その2からの続き)それ以降、何処かの神社に出掛ける時は、チャネリングで道を聞いていくことが普通になりました。自分の車には現在もカーナビを付けていないのですが、九州など遠地の場合、飛行機で飛んでレンタカーを借りることになりますが、カーナビよ...
◆悟り・ノンデュアリティ

信心銘  全文

信心銘(しんじんめい)は、中国・隋代の僧である僧璨鑑智禅師(そうさんかんちぜんじ:生年不明~606年没)の撰とされ、四言146句からなる漢詩であり、信心不二の境涯を簡明に詠嘆したもの。八王子にある、鶴壽山 松門寺のサイトに原文と読みと現代語...
◆悟り・ノンデュアリティ

信心銘

信心銘(しんじんめい)は、中国・隋代の僧である僧璨鑑智禅師(そうさんかんちぜんじ:生年不明~606年没)の撰とされ、四言146句からなる漢詩であり、信心不二の境涯を簡明に詠嘆したもの。分りやすく言えば、悟りの境地に至った人が悟りについて語っ...
◆悟り・ノンデュアリティ

私が自由になる、私から自由になる

◆スピリチュアルな事を学ぶというのは、私が自由になることです子供は、様々な分別(やって良い事、悪い事)や区別(私とあなた、私と私以外)を覚えることで、子供は社会の中の居場所を得ることになります。しかし、大人になって時が経つと、この分別や区別...
◆悟り・ノンデュアリティ

『私は誰か?』読みやすいバージョン

記事「私は誰か? Who am I?」(リンク)で、ラマナ・マハルシのお勧めの小冊子を紹介しました。私自身「私は誰か?」の探究をずっと続けており、ゆっくりとした歩みですが、一歩ずつ前に進んでいます。そのため小冊子を読み返すことになるのですが...
◆悟り・ノンデュアリティ

ラマナ・マハルシとの対話

インドにおける著名な覚者の一人であるラマナ・マハルシは、ノンデュアリティを理解する上で重要なティーチャーの一人に数えられます。この人の本のうち、こちらの本を昨年10月に購入しました。内容はとてもいいのですが、対話の中にはインド文化特有の対話...
◆悟り・ノンデュアリティ

自我と個我と真我

ラマナ・マハルシの『私は誰か?』(リンク)は、読み物ではありません。読んで理解するのではなく、読んで実践することが大切です。実践とは、自分の外に向いていた意識を自分の内側に向けるということです。それを行っていると、三つの異なる『我』を見つけ...
◆悟り・ノンデュアリティ

コーヒーカップは存在しない?

私とは、「肉体と心を持った一人の人間である」ということを疑う人はまれです。普通は、私は一人の人間であるということが、あまりにも当然の事であると思えるため、それを疑うことすらありません。しかし、それは幻想なのです。あなたが、テーブルの上にある...
◆悟り・ノンデュアリティ

私は誰か? Who am I?

ラマナ・マハルシは近代インドにおける著名な覚者の一人です。彼の教えの神髄は、対話の小冊子「私は誰か?」に現されています。「私は誰か?」はダイレクトパスの一つで、とてもシンプルですが強力で実践的な真我の探求、悟りへの道です。冒頭部分を引用しま...
◆悟り・ノンデュアリティ

自我と真我

自我は、この肉体の中に精神があり、これこそが「私」であるという幻想を創り出します。そして私という個人が存在するというストーリーを肉体がある間続けるという役割があります。私というのは、実は幻想でしかないのですが、源泉あるいは神とか源においては...
◆悟り・ノンデュアリティ

最近読んでるブログ

最近読んでるブログがあります。最近はノンデュアリティ系の書籍をよく読んでいますが、出版される書籍に匹敵するぐらいレベルが高いブログです。内容としては、書いた人の自分自身への記録という意味合いで、"真我が目覚めるとき"について、目覚めて行くプ...
◆悟り・ノンデュアリティ

私が移動しているのではない、世界が移動しているのだ

電車に乗って窓の外の風景を見ていると、自分が動いているのか、それとも、自分は動かず風景の方が動いているのは、良く判らなくなることがありますね。通常、私が動くから風景が変わるという認識をしていますが、真実はその逆です。私は動かず、風景の方が動...
◆悟り・ノンデュアリティ

悟りのサイクル

ノンデュアリティは、一度体験したらそれで終わりというものではありません。よくあるのが、一度体験しただけなのに"私は悟ってしまった"という勘違いです。これを一瞥(いちべつ)体験と呼ぶこともあります。ノンデュアリティのプロセスが進むときは、これ...
◆悟り・ノンデュアリティ

ダグラスハーディングの実験(続続)

ダグラスハーディングの実験について、こちらの記事(リンク)で紹介していますが、何を意味しているのか良く判らないという話を聴きます。ダグラスハーディングの一連の実験は、「私」という個人の本当の姿は何者なのか、実在しているのかを探究し気付く為の...
スピリチュアル

スピリチュアルとノンデュアリティは何が違う?

スピリチュアルとノンデュアリティはそもそも異なるものなのですが、ノンデュアリティのティーチャーがノンデュアリティの目覚めの事をスピリチュアルな目覚めと呼んだり、スピリチュアルな人がワンネスと言う言葉でノンデュアリティを語ったり、時には引き寄...
◆悟り・ノンデュアリティ

わたしが見ているのは・・・

わたしが見ているのは、わたしの反映です。わたしが見ているのは、わたしという大いなる存在が創り出した反映です。わたしが見ているのは、他の誰かではない、わたしが創り出した世界そのものです。わたしが見ているのは、わたしという内なる世界の反映です。...
◆悟り・ノンデュアリティ

禅における悟りの段階

悟りというのは、一度で起きるものではなく、何度も起きる気づきによるものであるということを以前にも書いていますが、経営禅研究会のページ()に、分りやすい解説がありますので、長いですが引用させてもらいます。<初禅>いろいろ起きてくる欲望や様々な...
◆悟り・ノンデュアリティ

ノンデュアリティの巻き戻し

ノンデュアリティの道を進んでいくとき、大切なのは、概念でもなく・成長でもなく・獲得でもなく・誰かに認められることでもなく・ましてや個人というものでもありません。それらを全て取り去ったところに本当の真実があります。ところが、人が生まれ・大人に...
◆悟り・ノンデュアリティ

生まれながらの自由

今現在読んでいる本がこちら。この本を読み進めていたのですが、今朝突然頭の中が静かになって本来の(大いなる)自分に落ち着いている時間がどんどん長くなりつつあります。これはこの本だけ読めばそうなると言うことではないですが、色々な体験や書籍を読ん...
◆悟り・ノンデュアリティ

エンライトメントへのアプローチ

ようやく落ち着いて来たので、少し書いておきます。エンライトメントへのアプローチつまり、悟るための道筋としては、大きく三つに分けることが出来るようです。個は存在しない - 中間 - 大いなる存在上記の区分はいずれも、個人という存在が幻想である...
◆悟り・ノンデュアリティ

生は安全なのだ

生は安全なのだ安全でないのは個的な自我だけだ自我は防御を必要とする自分のまわりに鎧を必要とするおびえて、絶えず震えているそうしたら、どうして生きることなどできる?あなたは苦悶と不安のうちに生きているあなたは生きてやしないあなたはあらゆる歓喜...
◆悟り・ノンデュアリティ

ノンデュアリティにおける「生の体験」の重要さ

ノンデュアリティについて、色々な本を読んでいます。今日もジョーイロットの「これのこと」(リンク)が手元に届いたところです。本は、本として新たな知識やものの見方を与えてくれるという意味で、とても有用なのは間違いありません。しかし、ノンデュアリ...
◆悟り・ノンデュアリティ

セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび

以前、以下の記事を書いていますが、その方の続報の記事です。以下にリンクリストを書いておきます。セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 1セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 2セイラー・ボブ・アダムソン・ふたたび 3セイラー・ボブ・アダムソン...
◆悟り・ノンデュアリティ

色即是空が理解できない理由

般若心経は、仏教において最も端的にこの世界の成り立ちを現したものですが、その中に「色即是空」「空即是色」という有名な一節があります。これを理解することが難しいと言われていますが、それは理解が難しいのではなく、理解不能なのです。「色」という物...
◆悟り・ノンデュアリティ

世界は内側にある (続)

世界は内側にある(リンク)を図的に表現するとこんな感じです。下の丸い部分の中にある白抜きの人物が、本当の私です。そして、本当の私を「空」と言うこともあります。この「空」は空っぽという意味ではなく、全てを生み出す源としての「空」です。全てを生...
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ダグラスハーディングの実験(続)

ダグラスハーディングの実験(リンク)という記事で、実験について書かれているサイトを紹介していますが、書かれている実験をやってみたでしょうか?やってみたけど、何だかピンとこないというのが大多数の人の感想だと思います。これらの実験は、マインドで...
◆悟り・ノンデュアリティ

世界は内側にある

今日は、夕方から都内に車で出掛けていました。その時に感じ取ったのは、「この世界の全ての存在が、自分の内側にある」私たちが、通常外側に見ている世界は、あくまでも見かけの世界であって、真実の世界ではありません。真実の世界は私の中にあって、そこか...